~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第六章 何事か起るなら何も言ってくれるな
第六章 (3-04)
それに磯部が歴訪して歩いた陸軍の大先輩たちは、物言いや態度はそれぞれ違っていたが、彼らの意図を推察すると、次のように帰納された。
「── 君等を煽動するのではないが、何か起らねば片付かぬ。起った方が早い」
軍の上層部にいるこれらの連中は、上層部のポストに居る責任上、軽々しく行動することが出来ない。したがって革新的意見を持っていたり、革新的行動に行動に理解を持っていても、それを実行に移す機会も場所もないのだ。だから彼らに動き易い機会と場所を与えるためには、まず青年将校が起って行動しなければならぬ。正に気は熟しているのだ。
磯部はそういう判定にもとづいて、いよいよ決意を固めた。彼は「一人でもやる」決意の下に、他の同志たちがたとえ 蹶起けっきをしなくとも、彼と同志的結合の堅い少数の連中で決行する準備を進めて行った。河野大尉が一人で牧野を斬るというなら、それと時を同じくして弾圧の中心部に向って突撃しようと考えていたのだった。
ところが、栗原中尉は相当数の部隊が動かせる目鼻がついたといい、同時決行を主張するのである。相当数の部隊を動かして、一つでも多くの目標に向って同時決行が可能ならば、それに越したことはない・・・磯部は少数決行の自己の方針を捨てて、栗原に同調した。
そこで磯部が、河野大尉にその旨を伝えると、河野もそれが出来るなら、それに越したことはないと同調した。
「磯部さん、やるとかやらんとかいう議論を、今になって戦わしていてはいけません。それでは永久に決行出来ないことになります。だから、今度こそは、本当に決行の決意の強い者だけで、結束して断行しましょう・・・二月十日が土曜日ですから、その日の夜、決行同志の会合を催してくれませんか。その席で、行動計画など、しっかりと練らねばなりませんよ」
河野の提案にもとづいて、二月十日夜、歩三の週番指令室でその会合が持たれた。週番司令は同志の安藤大尉 ── 集まったのは、村中、磯部、河野、栗原、安藤の五名であった。
だが、折角のこの会合では、具体的な行動計画を練るところまで話は進まなかった。会談の内容は、いよいよ実行の準備に取りかかろう。準備のためには、実行部隊の長となる者の十分なる打合せが必要だから、今後は時機を定めて会合することにしよう。そして計画秘匿のために、この五人の会合をA会合とし、五名以外の他の者は、この会合には参加させないことにしよう。他の者を参加させる場合は、それをB会合とし、A会合と厳に区別しよう ── そんな態度の打合せしか出来なかった。だが、それでもお互いの胸の中には暗黙の了解と決意とが根を張ったようだった。
週番指令室を提供した安藤は、しじゅう押し黙って、それぞれの発言に耳を傾けていた。彼はこのところずっと「時期尚早」論を唱えていた、動かなかったのである。安藤が動けば歩三は大きく動く、と一様に思われていただけに、安藤の帰趨は、計画に大きな影響力を持っているのだった。
その慎重居士の安藤の眉根にも今度は決意の色がチラチラ動いているのを、磯部は見てとった。会合が終りに近づいた頃を見計らって、磯部は安藤に言った。
「安藤、どうだ・・・機は十分熟して来たとオレは思うが、貴公はどう思う?」
「いよいよ、準備するかな」
安藤はそう言葉を短く押し出した。
だが、それは昂揚した決意からのものではなかった。むしろ慎重な気持から足を十分抜ききれない者の重々しい呟きであった。
外へ出ると、会合の提案者である河野が喜びを顔一杯に現して、磯部に囁いた。
「今度こそ実行できますよ。第一、顔ぶれがいいです」
翌日、磯部は何となく西田を訪ねたくなって、出掛けて行った。このところ磯部実行計画の立案に飛び廻っていたので、しばらく西田を訪ねなかったのである。
西田は在宅していた。
西田を訪ねた磯部の心の底には、着々と進んでいる実行計画を打明けたい気分がみなぎっていた。磯部は北一輝の「日本改造法案」の信奉者であり、北一輝の後継者としての西田税を心から尊敬していた。西田に対する青年将校の評価は、まちまちであった。最近の風潮では、西田を職業的革命ブローカーだとし、単なる無責任な煽動者として敬遠したり、誹謗したりする傾向もあった。だが、その風潮の中にあって、磯部と村中だけは、終始一貫、西田の門をくぐって来た。もっとも磯部と村中は「粛軍ニ関スル意見書」で免官になり、軍部に気兼ねする必要もなく、大ぴらで出入りで来たせいでもある・・・それだけに磯部は、実行計画小目鼻がついてきたことを、誰よりも先に西田に告げたい心で一杯だった。
2022/02/13
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