~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第六章 何事か起るなら何も言ってくれるな
第六章 (6-02)
栗原の利かぬ気の坊ちゃん然とした色白な顔には、次第に戸惑ったような表情が浮んで来た。
栗原はたずねた。
「わたしどものことを、心配していただかなくてもいいんですが・・・あなたが色々考えて居られる一般情勢、連絡ある方面の状態は、まだあなたの希望するようになっては居らんのですが・・・やはり、あなたにも迷惑がかかりますか」
「ぼくの方の関係は、まだまだ前途遼遠りょうえんだ。ぼくは先を深く考えているんだ・・・とにかく、ぼくとは無関係だと言っても、それはお互いだけのことであって、外部ではそう見ない。結局、いま変な事をすれば、ぼくの考えていることも何もかも駄目になってしまう」
「なたがそういうようなことを言われるのは、一番困る・・・まあ、考えましょう」
栗原は、そう言って帰って行った。
翌日、磯部が西田宅へやって来た。
磯部は相沢公判の進行状態などしばらく話していたが、そのうちに、
「最近、連隊の連中が大分熱が高いようで・・・安藤君あたりが、最近非常に考え込んでいる様子です」と告げた。
暗示めかした言い方であった。
西田は前日の栗原との話をして、
「安藤君にも会いたいから、ついでがあったら、一度来てくれるように言って下さい」
「伝えましょう」
磯部は引受けて帰った。
翌日の夕方、安藤は連隊からまっすぐに西田宅へやって来た。
「実は、あなたにちょっと会いたかったんです」
安藤は顔を合せるなり、そうごう言った。噂通り、思い詰めて苦しんでいる様子であった。
「わたしも会いたかったから、磯部君に伝言したわけです・・・最近、青年将校の間に、飛び出すとか、何とか、そういう話があるそうですが一体、どういう状態ですか・・・それについて君はどう思っているのか」
西田がそうたずねると、安藤は、
「実は、その事について、なたの意見を聞きたい、と思っていたんです」
そう前置きして、
「最近、若い連中はその気持が非常に強いんです・・・この間も四、五人寄った際に、自分にやってくれ、と言われましたが、自分はその時、やる、やらんは別だが、やれないと考えたので、断ってしまった。そしてそのことを週番中の野中大尉に話したところが、野中さんは、なぜ断った、と自分を叱りました・・・そして相沢中佐の行動それに、最近の一般諸情勢等を考えると、いま自分たちが起って国家の犠牲にならなければ、かえって天誅が我々に降るだろう、自分はいま週番中だが、今週中にやろうじゃないか・・・と言われて、わたしは、非常に恥ずかしく思いました」
「野中大尉という人は、ぼくは一面識もないが、おとなしい聖人のような人だと聞いていたが・・・その野中大尉が・・・そうか」
西田は言葉を口に含んで、二、三度ひとりで肯いた。
「野中大尉は、先輩で、連隊では聖人のように思われています。その野中さんに、なz断った、と言われたので、わたいは非常に恥ずかしく思ったんです・・・しかし、今日までの関係からして、我々が何か始めようとすれば、最後にはあなたが抑えられたりされましたが、今日の状態では、もしあなたが抑えでもすると、軍隊の内部は取り返しのつかない混乱に陥るし・・・失礼な言い分ではありますが、あなたを撃ってでも前進する、と言うようなことが、起らんとも限らない状態になって居ります・・・それで、一度、あなたの御意見を伺いたいと思っていたんです」
安藤は眼鏡を鈍く光らせて、西田をみつめた。
2022/02/19
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