~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第七章 二十六日朝ダト都合ガ良イト云ッテ居マス
第七章 (1-02)
二、三日、西田は落着かない気分で、ひとりいらいらして過ごした。
すると歩一の山口大尉から、電話がかかって来た。
「風邪をひいて寝ている。明日から週番だから、当分会えない。いろいろと話て置きたいことがあるから、すぐに来てくれないか」
そういう電話であった。
西田も切羽詰まった気持で、、ひとりやきもき悩んでいた折柄だったので、さっそく大久保百人町の山口の家へ出向いた。
山口は二階に寝ていたが、すぐ丹前を着込んで出て来た。
西田は、公判廷の控室で亀川と会った顛末てんまつなどを話して、
「一体、山口さんの見て居られる歩一の内部の状態は、どうなんですか。栗原君や安藤大尉がわたしに暗示したような・・・そんな抑え切れないような強いものですか」
「強いな、どうも」と山口は首をひねりながら話した。「ぼくは明日から週番になるについても、栗畑君などがぜひ週番になってもらいたい、と強く希望して来た。内部の情況は、ぼくの見るところでは、どうもぼくに週番になってもらう方が、奴らとしては都合がいいらしい。奴らの言動は、日を経るに従ってはげしくなって来ているよ。全般的に言えば、相当な力を固めているね・・・それで、ぼくはもうこの形勢を緩和かんわするのは、今となっては、ほとんど絶望に近いんじゃないかと思うんだ」
どうしたもんだろう・・・といった風に、山口は西田をみつめた。
西田はちょっと考えてから、顔をあげて、
「こういうことは、出来ないものでしょうか・・・例えば、連中がやろうとしている背後には満州派遣という問題が大きく作用しているんだから、第一師団の満州派遣を変更するとか、あるいは延期するとか・・・」
西田の顔には、山口の岳父である本庄侍従武官長を動かしても・・・という頼みの表情が動いた。── もうそれよりほかに打つ手はない!
山口は、その西田の視線をはずして、首を振った。
「それは出来まい。もっと早くなら、ともかく・・・正式の命令が第一師団に伝達された今日となっては、もはや命令を変更することは不可能だ」
「それでは、こういうことはどうでしょう・・・この二、三日中に陸軍の人事異動があるであよう・・・そこでこの際、若い連中が要望しているような人物・・・多少でもそれに近い人物を、中央の要職に持って来る。例えば柳川中将を台湾から呼び戻すとか、何とか・・・そうすれば、連中の緩和は、必ずしも不可能じゃない」
「名案だがね。しかし、事態は切迫しているんだ。ぼくが思うのに、奴らはぼくの週番中にやろうとしている・・・もう日にちがないんだ。今から我々がそういう策動をやったって、とうてい間に合わない・・・不可能だね」
「それじゃ、結局、我々としたら、どうしたらいいんですか」
「そこだ。今となっては、それを考えるよりほかに手がないだろう」
山口は言葉をとめて、どうする? といった風に西田をみつめた。
山口の脳裡には、数日前、栗原と交わした問答のことが、いそがしく駈けのぼった。
2022/02/20
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