~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第七章 二十六日朝ダト都合ガ良イト云ッテ居マス
第七章 (1-03)
数日前の正午すぎのことである。──
山口が将校集会所で昼食をすまし、中隊長室に戻ってぼんやりとタバコをふかしていると、栗原がひょっこりと姿を現した。
相沢公判のことなど二、三雑談を交わしたあとで、栗原がさりげなく訊ねた。
「山口さん、弾薬庫は・・・あれは訳なく開くでしょうね」
来たな、と山口は思った。
「ふーん、弾薬庫の中味が御入用か・・・では聞くが、弾薬庫を開ける作法を知っているか」
「鍵で開ければいいじゃないですか」
「だから、君たちの計画はダメだって言うんだよな」山口は頭ごなしに言った。「弾薬庫には歩哨がが立っているし、鍵は、だな・・・別に保管者という者がある・・・もの二人を、どうするつもりだい?」
「あ、そうですね」
「そうですね・・・じゃないよ。下手をするとこの忠実な二人を、血祭りにしなくちゃなるまい・・・そうする気かい?」
「困ったな。殺しちゃ、可哀想だし・・・」栗原は、誘導尋問にひっかかった形で、ちょっと考えてから、
「山口さん、あなたならどうしますか」
「おれか。オレなら、先ず歩哨の処理法だな・・・歩哨は、兵器委員助手以外の者には扉を開かせない筈だ。連隊長だって開くことは出来ない。しかし、ここに週番の巡察将校なら、歩哨の持っている武器を点検する権能けんのうがある。週番司令が、二人ばかりお供を連れて巡察に行くんだ。すると、歩哨が飛んで来て、捧げ銃をするだろう・・・その時、歩哨の銃の検査をするんだ。歩哨が銃を差し出した時、お供の二人が歩哨を押さえてしまえば、それで済むじゃないか」
山口は、半ば冗談、半ば本気な顔つきで教えた。彼は気持の上では、スパイのつもりであった。スパイであり以上は、相手に安心感を与えるために、仲間のような顔をする必要がある。相手の好む問題に触れることで、相手の口を割らせようとする芸当であった。
栗原は真面目な顔つきで聞いていたが、聞き終わると、急に顔におどけた表情を浮かべて、
「へえ、山口さん・・・やってことがありますね」
「バカ言え。これは一つの設計なんだよ」山口は、薬が過ぎたかな、とあわてて言葉をにごした。「オレは、設計屋だ・・・設計が商売なんだ」
「鮮やかなものですね・・・ついでに鍵の方を、あなただったらどういしますか」
「うまいこと言ってるぞ。もうその手には乗らんよ」
「仮説ですよ、あくま仮説・・・」
「いや、ダメだ。それは君らで工夫しろ。とにかく絶対不可能にしてやらなければ、鍵の保管者が可哀想だからね」
最後の言は、語るに落ちた。栗原は一言も口を割らなかった。ばかりでなく、若いひたむきな気魄が、かえりみて他をいう態度ににじみ出ていて、山口は気押された。もはや山口の感覚では、来たるべき切迫した現実と仮説との区別がつかなくなったのである。
── 完全に、オレの負けだ!
山口は圧倒された気分の中で、そう思った。
仮説にしろ、栗原が弾薬庫を開ける方法を聞いた以上は、いよいよ近く事を起す手筈がととのった、と見なければならない。
── 弾薬庫を開ける・・・そうだ。弾薬庫の鍵は、石堂軍曹が保管しているのだ・・・!
山口は愕然たる思いで、それに思い当たった。
石堂軍曹は、山口の中隊出身で、兵器委員助手をしている。おとなしい、真面目一方の下士官で、今は連隊附近に家庭を持っている。── 石堂がまだ中隊居住の時分、彼に許婚の愛人があることが分かったので、山口は粋を利かせ、中隊長の権限で公務にかこつけ、度度外泊させてやったことがあった。。
その石堂軍曹が、栗原らの襲撃を受けようとしている! 石堂は、真面目な男で、もちろん思想的な色彩は何もないから、任務第一に栗原らの要求を拒絶するだろう・・・その結果は、どうなるか・・・不吉な場面が、何度も頭をかすめた。
── 困ったことになったぞ、これは?
山口は居ても立っても居られない不安な焦躁感に駆られた ──。
その時の焦躁感が、今も山口の胸をグイグイしめつけるのである。
「どうも弱ったよ、これは」
山口は呟いて、西田をじっとみつめた。
「わたしとしては・・・」西田は考え深く、言葉を押し出した。「若い連中のやろうとしていることの内容に如何にに拘わらず・・・例えば、私がこの時期にそういう事の起こるのには、絶対反対であっても、客観的情勢は私を若い連中と一緒と見るに決まっています。だから、私は、事が起きれば、当然、ただちに身体の拘束を受けるものと覚悟しなければならない。多少の時間的余裕があっても、それは予定の出来ないことで、事件の後始末を何とかしてやろうと思っても。それは殆ど空想に近いことです・・・だから、私の存在というものには、あまり期待は置けないと思う」
「そういうことになるかも知れんな」
山口が憮然とした面持ちで、言葉を添えた。
「そこで、私としては、山口さんなどに期待するところ大きいんだが・・・とのかく事が起ったら、時局多端の折柄だから、事態を至急に収拾して、内外に対して与える悪影響、あるいは動揺を出来るだけ制限して、犠牲になる若い人達の志のあるところを出来るだけ実現するような途を、上部の人たちに取り計らっていただくより外に、もう方法がない・・・もちろん、私としても、身体の自由がきく間は、私の平素接触ある方面へ働きかけますが・・・」
「もちろん、オレはやるよ」山口は気負った顔を見せたが、すぐ調子を落として、「それにしても・・・どうも弱ったことになったな」
「弱った! 私も、実は迷惑なんだ・・・しかし、人間の事というものは、ある程度以上は運賦天賦ですからね。時の運に身を任せるよりほかない。私は、そう覚悟を決めました・・・山口さん、事が起ったら、起ったで仕方がないから、若い連中の志を、出来るだけ活かすように、お互いに助力しましょうや」
「そうしよう」
山口は肯くよりほかなかった。
2022/02/22
Next