~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第七章 二十六日朝ダト都合ガ良イト云ッテ居マス
第七章 (2-01)
西田が帰って一時間ほどすると、村中と磯部が山口を訪ねて来た。二人が連立って訪ねて来るのは、珍しいことであった。
二階の客間に招じ入れると、山口は二人を見比べて言った。
「お揃いで・・・珍しいじゃないか」
二人は曖昧な表情で、ニヤニヤ笑った。隠し事を持ってる時の、取ってつけた不自然な笑いであった。
二言三言雑談を交わしていると、案の定、磯部が切り出した。
「山口さん、これは仮定ですがね・・・あくまで仮定として聞いて下さい・・・いま我々が起って、若干の軍隊を動かし、岡田首相、高橋蔵相、斎藤内府、鈴木侍従長、渡辺教育総監、西園寺、牧野らの君側の賊に天誅を加え、首相官邸と陸軍省、警視庁などを占拠したら、世の中はどうなりますか・・・もちろん、我々は昭和維新招来のための犠牲になるのですが、我々がこれを実行したら維新になるか、どうか・・・難点はどこにありますか」
村中も白い額をあげ、鋭い眼差しでじっと山口を見守った。
村中と磯部のクーデター計画は、いわば趣味のようなもので、多種多様のものを持っていて、山口はこれまで何度か計画を見せられ、意見を求められて来た。だが、何れも紙上のプランで、実現性に乏しいものだった。
だから、今度もそれかな? という気がしないでもなかったが、二人の顔つきがこれまでとは違って真剣そのものだったので、やはりやる気だな、と山口は改めて胸を硬ばらせた。
「待ってくれ」山口は急いで自分を落着かせて言った。「殺すのは、誰々だって? もう一ぺん言ってくれ」
「岡田、高橋、斎藤、鈴木、渡辺、西園寺、牧野・・・」
磯部が置き並べるように言った。古くから何度も計画され、人選して来たので、空ですぐ言えるのである。
「西園寺をやるのか」山口は吐息と一緒に声を出した。「西園寺は、まあ、話せば分かる人だから、除外したらどうかな。それにもう老体だし・・・可哀そうだよ」
「老体といえば、みんな老体ですよ」と村中が冷静そのものの態度で言った。「個人的に言えば、話せば分かる人も何人か居るでしょう・・・我々は、それらの連中には、個人的には何の怨恨もない。けれども奴らは、国家悪の元兇ですからね。個人的感情を乗り越えて徹底的に悪の根源を取り除かねばならんですよ」
「そういう観点からすれば、そうだろうが・・・しかし、西園寺はよでよ。それから牧野・・・これは元内府というだけで、今は隠居みたいなもんじゃないか」
「しかし、それにしても悪の元兇には違いないんですから、やらなければいけません」
磯部が断乎としてした。
「殺すのは、それだけか」
山口はたずねた。
「まだあるんです」磯部が言った。「それらは第一陣ですが、第二陣は林大将、後藤文夫、一木喜徳郎、三井三菱の主人公・・・」
その他十数名の人名が、次々と挙げられた。
「そりゃ、多すぎる」山口はあわてて言った。「それらの人間を、一人一人虱つぶしに殺すのは、大変な手間だぞ・・・仮定ならばともかく、現実にやるとしたら大変だ。第一、それだけ血を流させちゃ、国民に恐怖心を与える。国民の支持がなくちゃ、革命は成就しないよ」
「そうですか。それならあなたのお説に従って、第一陣に留めて置いてもいいですよ。情勢に応じて第二陣をやることにして・・・」
磯部はそう言って、自分から笑いだした。
「それで計画は、軍隊を動かして、首相官邸と陸軍省と・・・それからどこを占拠するんだって?」
山口はとぼけて、聞き返した。
山口とすれば事件を起させたくなかったが、しかし起きるとすれば、爾後の処置のためにも計画の全貌を知って置きたかったのだ。自分がスパイである以上は、仲間のような顔をして、話に乗らなければならない。
「警視庁・・・」
磯部が面倒臭そうに答えた。
「ふむ」山口は肯いて「維新革命をやるとすれば、まあそこいらの中枢機関は是非とも抑える必要があるが・・・一体、兵員はどの位で、どこにどれだけ配置するのか」
「それは・・・ですね」
村中がポケットから地図を取り出して、卓上にひろげた。麹町附近の地図であった。
「用意周到だな」
山口は笑ったが、これはいよいよ本物だ、と笑いが強ばった。
三人は地図の上に、視線を集めた。
村中が鉛筆で印をつけながら、説明した。
「首相官邸に一個中隊・・・陸軍省に約一個中隊・・・警視庁にも一個中隊、出来れば二個中隊配置します・・・内外の交通を遮断して、戒厳令まで持って行く・・・そうして我々の希望する非常時内閣が実現するのを待ちます・・・もちろん、岡田首相以下の元兇は、それ以前に各退庁が分担して、やっつけてしまいます」
「そりゃ、まあ・・・どこかたろも言えませんな・・・これは仮定ですから」と逃げた。
うまく逃げられた ── と山口は心の中で思った。こちらがススパイのつもりで仲間のような顔をしていても、話がギリギリの個所に触れると、相手は信用しな、パタンと扉をおろしてしまうのである。
柳口は相手の内懐が見すかせないもどかしさに、歯噛みする思いだった。
2022/02/23
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