~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第七章 二十六日朝ダト都合ガ良イト云ッテ居マス
第七章 (3-01)
磯部は、忙しく飛び廻った。
同志間の連絡、資金の調達、牧野元内府の居所の追及・・・すると牧野の居所が、この頃になって、九に判った。湯河原の伊藤屋旅館の貸し別荘に滞在しているというのだ。
それを磯部に知らせたのは、実業家の森伝であった。── 森は政界や軍人の上層部に知合いが多く、磯部らの革新派の同情者で、磯部はちょいちょい出入りしては、上層部に意見具申をしてもらったり、資金の調達を仰いだりしていたのである。
だが、磯部は、森にクーデターのことは何も話してはいなかった。
そのため、牧野の居所を森から聞いた時、
── これで河野への土産が出来た!
そう内心雀躍じゃくやくしたのだが、さあらぬ態をよそおわねばならなかった。
「最近、君達の間で何かやりそうな噂があるが、本当かね?」
森がそう聞いたのに対して、磯部は、
「そういう動きは、あるにはありますが・・・まあ、大した事はないでしょう」
その程度の話しか出来なかった。
その晩おそく、磯部は歩三の安藤大尉を麻布の自宅に訪ねた。安藤がまだ考え込んでいる様子なので、なんとかして蹶起をうながしたかったのである。
安藤は起きていた。
磯部の顔を見ると、安藤は、
「磯部、オレは明日から週番だ」と告げた。
磯部は肯き返して、
「今日、山口大尉に会ったが、山口さんも明日から週番だと言っていた・・・歩一の週番が山口大尉で、歩三が貴公なら、いよいよもって都合がいいわけだ・・・安藤、どうでも今週中にやろうじゃないか。貴公の決心さえつけば、それでもうすbての準備は完了だ。山口大尉もどうやら決心したらしいよ・・・あの人は、いままで、西田さんと一緒に我々を押さえる側に廻っていたが、今日は村中とオレに、いよいよ事が起これば、週番司令として残存部隊を非常呼集して、我々と外部の部隊との無用な摩擦を避けるために、帝都の警戒にあたる、とハッキリそう言明した・・・上部工作も引受けた、と言った・・・豊橋の部隊も気勢があがっているんだ。こっちから日時の指令さえ連絡すれば、すぐ飛び出せるようになっているんだ・・・!」
磯部がまくし立てればまくし立てるほど、安藤は反対に黙り込んだ。
「どうだ、安藤・・・こんなに情況が熟して来ているんだ・・・決心してくれ」磯部は執拗に喰い下がった。
追い詰められた安藤は、ようやく重い口を開いた。
「もう一晩考えさせてくれ・・・山口さんの場合は、週番司令として連隊の残存部隊をもって帝都の警備につく・・・これはまあ任務の遂行だ。ところがオレの場合は、週番司令でありながら 、任務を放棄して、部隊を連れて飛び出すんだから、そこに重大な違いがある・・・オレの責任は重大だし・・・まあ、もぅ一晩だけ考えさせてくれ」
安藤らしい慎重ないい分である。
「それじゃ、明日の朝、また来るから、それまでに考えを決めてくれ」
磯部はそう言って引き退がった。
磯部としては、情況上、安藤を到底出来なかったのだ。安藤が起つか、起たないかで、歩三が大きく動くか、動かないかが決まるのである。歩三では、安藤の先輩の野中大尉がすでに決意を固めているが、それに配するに、安藤の決意が部隊の動員上どうしても必要であった。
「── 安藤、決心してくれ・・・一緒に起ってくれ!」
磯部は帰りの円タクの中で、神にもすがりたい気分であった。
翌朝、磯部は眼がさめるとすぐ、飯も食わずに、円タクを飛ばして安藤の家へ赴いた。
安藤は起きていたが、生気のない、青むくんだ」ような顔をしていた。一晩中考えて、寝ずにいたらしい様子だった。
だが、安藤は磯部を見ると、青い顔に明るい微笑をただよわせて、
「磯部、安心してくれ。オレはややる決心がついた・・・オレはやる・・・ほんとに安心してくれ」
いきなり短くそう言った。
「そうか、決心がついたか」
磯部は喜びのあまり飛びついて、安藤の大きな掌を握りしめた。目頭に涙がにじんだ。
「これで万歳だ・・・万々歳だ・・・」
磯部の胸は感動中で、大きくふくらんだ。
2022/02/23
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