~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第七章 二十六日朝ダト都合ガ良イト云ッテ居マス
第七章 (4-01)
懸案の安藤の決心も決まったし、野中をはじめ栗原、河野中橋ら将校団の同志的結合もしっかりしてきたので、その晩、磯部の飛び廻りで、青山の栗原宅に河野、中橋、栗原、村中、磯部の五人が会合した。
会合の目的は、決行の日時、襲撃の目標、兵力部署の決定などであった。── 決行の日時は、栗原と磯部の主張で「二月二十六日午前五時」と簡単に決まった。
兵力は、近衛歩兵第三連隊、歩兵第一連隊及び歩兵第三連隊の一部を使用すること。
襲撃目標とその担任は、
(一) 岡田首相 ── 栗原、林、池田、対馬。
(二) 高橋蔵相 ── 中橋、中島。
(三) 斎藤内府 ── 坂井、高橋、麦屋、安田。
(四) 鈴木侍従長 ── 安藤。
(五) 警視庁 ── 野中、常磐、清原、鈴木。
(六) 陸相官邸 ── 香田、村中、磯部。
(七) 牧野元内府 ── 河野。
(八) 西園寺 ── 対馬、竹島。
以上であった。この外、附帯事項として、
(イ) 宮城坂下門において、奸臣と目する重臣の参内を阻止すること。
(ロ) 警視庁を占拠して、そも機能の発動を阻止すること。
(ハ) 陸軍省、参謀嬪部、陸相官邸を占拠し、村中、磯部により陸相に対し、事態収拾につ
き善処方を要望すること。
などを協議決定した。
攻撃目標としては、なお教育総監更迭問題の際の統帥権干犯の首魁しゅかいである林前陸相、渡辺教育総監、財界の池田成彬、新官僚としての後藤文夫、井沢多喜男などの名が挙げられたが、一応保留となった。
翌二十三日は日曜日であった。
栗原は、前夜の会合の決定事項を対馬に伝達する任務を帯びて、カモフラージに細君同伴で豊橋市に赴いた。転勤でもするかのように、大きな軍用行李を携行した。行李には、対馬とのかねての約束に従って、小銃二千発が入っていた。
村中は、歩一の香田大尉に連絡することを担当した。── 香田は、つい最近まで群馬県下の現地演習に出張していて、まだ決定事項もその経過も知らずにいる。それに香田大尉も決行については考え込んでいる節があった。山口大尉に、「自分はやる気がない」と打ち明けたと言うのである。
磯部は、渋川善助と連絡を取った。渋川は牧野前内府の偵察を引受けていたので、牧野の所在を知らせるためであった。
小石川水道端の直心道場で渋川に会うと、渋川はカモフラージュと連絡のために細君同伴で行くと言い、一人でもやりそうな面構えであった。
「いや、あんたが直接手を下しちゃあいけない・・・あんたは外部の人だから、直接行動には加わらないで、牧野の偵察が済んだら、すぐ東京へ帰って、直接行動の企図達成のために、あくまで外部で行動してほしい」
磯部はダメを押した。
その晩、村中、磯部、香田、野中、安藤の五人が、歩三の週番指令室に集まった。香田は、村中に説得されてようやく決心の臍を固めたのだった。── 歩三の週番司令は、野中と交替した安藤大尉であった。
五人は、前夜栗原宅で決定した事項を再検討した後、林前陸相と渡辺教育総監をやるかやらないかを討議した。
「林は、まあ、やらんでもいいじゃないかな」と磯部が言った。「大義名分上からいえば、林は教育総監更迭問題の統帥権干犯の首魁だから、当然討たなければならんのだが、しかし林はすでに永田事件でみそをつけて、一般の人気はないし、いまは単なる軍事参議官にすぎないんだから・・・やるとすれば、第二次でいいんじゃないか」
「それじゃ、渡辺はどうする?」
座長格の村中が聞いた。
「渡辺は討たなければならんだろう」磯部が言った。「渡辺は教育総監として、我々の同志将校を弾圧してきた・・・それから推しても、我々が行動を起こした場合、我々を弾圧する張本人は渡辺だろう。だから、こちらから先手を打って、討たなけりゃならんと思うが、どうだ?」
「同感だ」
野中と安藤が肯いた。
「それじゃ、渡辺もやるとして・・・これはどこで分担するか」
村中は前夜決定した事項を書き込んだメモに見入った。
「斎藤実を担当しているのが、歩三の坂井部隊だが・・・高橋、麦屋それに野重七の安田少尉がいる。この辺で担当出来ないかな?」
「四谷の斎藤邸は、坂井がよく偵察してあるから、ワケないだろうが、渡辺教育総監の家は萩窪の方だろう・・・距離と時間的に見て、どうだろう?」
野中が言った。── 坂井中尉は、野中の第七中隊附である。
「斎藤邸が早く片付けば・・・」村中が言った。「坂井部隊は兵を陸軍省附近に配置することになっている。ちょうど市川の野重七からトラックを赤坂離宮前に持って来ることになってるから、そnトラックで飛ばせばいい・・・兵員は、一台のトラックに乗れるだけあれば、沢山だろう・・・あとは、どうも手の抜けそうなところがない」
村中はそう言って、一同を見廻した。
「赤坂離宮前から自動車で二十分・・・二十五分・・・」野中は頭の中で距離と時間柄をはかって、「やって、やれんこともないな・・・それじゃうちの高橋少尉を長にして、野重七の安田少尉をつけてやったらどうだろう」
「それで十分・・・と思いますね」
村中が肯いた。
渡辺教育総監を襲撃目標に加える事は、それで決定した。
2022/02/27
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