~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第八章 何もかも順調に行っている・・・成功だ
第八章 (1-01)
二十三日の正午頃から降り出した雪は、翌二十四日も一日中降り続いていた。また降雪の新記録が出るだろう、と新聞は書きたてた。
寒気はきびしかった。
夜の八時過ぎ ── 歩一の週番指令室には、四人のお客が集まっていた。歩三の野中に、香田、それに背広服姿の村中と磯部であった。
四人は、この部屋の主人公である山口大尉が竜土軒から取り寄せたコーヒーをすすり、塩煎餅をかじりながら、ストーヴを囲んでひそひそと密談を凝らしていた。
ストーヴは勢いよく燃えているので、四人は上気してあかい顔をしていたが、しかし誰もそのことには気づかないほど話に熱中していた。
部屋の主人公の山口大尉は、少し離れた窓際の机にって、聴くともなしに連中の話にきき耳を立てていた、だが、山口大尉は連中の相談からは、完全に除外されている。ただ部屋を貸してもらえばいい、ということだけで、連中は山口を無視しているのだたた。
山口には、しかし四人が何を相談しているのかは分っている。直接行動の謀議である。襲撃目標などもほぼ見当はついているが、計画の内容と決行の日時が、よくわからない。だが、今夜の顔ぶれは、いわば直接行動派の首脳部を構成している。つまり、歩三の代表としての野中大尉、歩一の代表としての香田大尉、それに村中と磯部 ── 軍服と背広姿の二人ずつの対象は、人数が少ないだけに、はっきりと均衡の妙を現わしている。
殊に香田大尉が歩一の代表として密議に加わっていることには、山口は一種の驚異をおぼえた。── 香田はつい先頃まで、若い連中がガタガタしているが、自分はやりたくないのだ、としきりに山口に訴えていたのである。
その香田大尉が密議に加わっている! しかも香田の様子には、先頃山口に見せた弱気は、もうどこにも見出せなかった。ばかりか、そんなことなど一度もなかったような決然たる態度で熱心に謀議に加わっているのである。
── 香田が謀議に加わっていることから推すと、いよいよ事は抜き差しならんところへ来ているな・・・いよいよ事が起った場合は、どうするか?!
執るべき処置はいくつかある、だが、計画の具体的な内容と、時期とが分っていなければ、予め措置を立てるわけには行かない。要すれば、青年将校の純粋な気持を活かしてやることだが、果たして彼等の希望するような政治体制が実現出来るかどうか。
── この上は、計画の具体的な内容と時期を聞き出して、爾後の収拾方法を講ずるよりほかに途はない!
山口は机に倚ったまま、きき耳を立てた。
四人は、山口には理解出来ない隠語いんごなどを使って、討議している。それに山口は自分の発明した機関砲の実験射撃で片方の耳を悪くしているので、一そう盗みぎきが困難なのである。人並みに聞こえる片方の耳でそれとなく聞いていると、「興津」とか「湯河原」とかいう固有名詞の隠語が、四人の間で取り交わされている。
──「興津」は西園寺だろうが、「湯河原」は・・・はて、誰だろう?
山口は心の中で、しきりに首をひねった。湯河原に牧野伸顕が居ることを、山口は知らなかったのである。
いずれにしろ襲撃目標の討議である事は、それではっきりと分った。
──b 西園寺をやるのか・・・西園寺はロボットとして残して置いた方が、あとの事態を都合よくするためにも必要ではないか。
「おい、興津はよした方がいいぞ、興津は・・・」
山口は自席から声を投げた。
磯部が振り向いてたしなめた。
「山口さん、まだそんなとこに居たんですか・・・そんなとこで盗み聞きしちゃいけませんよ」
「いや、何も盗み聞きしているわけじゃないが、君らの話が丈夫な耳の方に聞こえるから、仕方がないよ」
「そんな所に居るから、いかんのです」
「そんな所に居るッて・・・ここはオレの週番事務室だぞ」
「「それは分ったいます」磯部はニコリともしないで言った。
「しかし山口さんには、週番司令として営内巡察の役目があるわけでしょう・・・巡察に出てください」
「おいおい、君らはオレの部屋を占領して、ぬくぬくとストーヴに温まって、部屋の主人公たるオレを雪の降っている外へ逐いだすぼか」
「何も雪の降っている中へ行ってくださいとはいいません・・・営舎巡察にでも行ってくださいよ、その間に、我々の話も済みますから」
野中と香田と村中がニヤニヤ笑った。
山口は仕方なく起ちあがった。指揮刀を吊り、扉のわきに掛けてある週番司令章を取って肩にぶらさげた。
「それでは山口大尉は、磯部閣下の命令に従って営内巡察に出掛けるが・・・」山口は扉の前に立ったままで言った。「とにかく興津だけはやめにしてもらいたいな。あの爺サンは話せばわかる人で・・・いや、分らなくとも、ロボットとしてでも残しておけば、あとで都合のいいこともあるよ」
磯部も他の三人も、それに対しては何の反応も示さなかった。
2022/03/06
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