~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第八章 何もかも順調に行っている・・・成功だ
第八章 (2-02)
「まだ大丈夫ですが、しかしどんどん降ってますから、乗り物が停まるかも知れません」
「乗り物が停まったら、泊まったがいい」
北は村中に炬燵をすすめた。
二人は差し向かいになった。」
「二十六日早暁・・・蹶起することに決定しました」村中はいきなりそう告げて、「それで首相官邸とか、陸軍省とか、そういう一定の場所に兵力を結集占拠することになるわけですが・・・そうした状態で、目的達成のために上部工作を持続することは、国体観念上、差支えないでしょうか」
村中は、トコトンまで物事を究明しなければ承知出来ない性質だった。質問は、この二、三日来、村中の脳裡にわだかまっていた問題であった。
北は身体の割に大柄な顔をあげて、
「差支えないでしょう」と静かに答えた。「例のいわゆる十月事件のように、大詔渙発たいしょうかんぱつの案文まで作って、それを御上に強要し奉るとよいうようなことは、わが国体観念上許されないことだが、そうでない範囲内で上部工作をするぶんには差支えないでしょう・・・問題はそんなことよりも、やる以上は一歩も退かない覚悟で、目的を貫徹するまで徹底的にやることですね」
北は、そこでちょっと言葉を切ってから、改めて、
「実は、さきほど御伺いを立てたところだが、『大内山に光射す、暗雲無し』との御告げがありました。つまりこれは蹶起将校の目的は天聴に達せられる、という御告げです。暗雲無し・・・これは純真な人によって組閣が順調に進み、したがって皇室も御安泰である、ということです・・・私はこのお告げを得て、大いに安心していたところです」
北の白濁してない片方の眼が、喜色を湛え炯々けいげいとかがやいた。
「そうですか」村中は感動を込めて、北をみつめた。「それを伺って、私も一大勇猛心を発揮することが出来ます。目的貫徹までは、一歩も退かずにやりますから、どうか外部から応援をお願いします」
村中は、野中大尉の書いた蹶起趣意書の下書き ── 「決意書」を取り出して、北に閲読を乞うた。
北は一読しやのち、顔をあげて、
「立派なものだ。至誠の精神が躍動しています」
と激賞した。
「これを元にして、わたしが蹶起趣意書を作製する役目を仰附かって居るのですが・・・」
村中が言うと、北は、
「そうですか」とうなずいて、「それじゃ今晩は泊まることにして、二階でお書きなさい、火鉢を入れさせますから」
「では、ご厄介になります」
村中は軽く頭をさげた。何か親の許にいるような、おおようなゆったりした気分になっていた。
── よし、もう何も思い残すことなく、安心して突入出来る!
村中は胸の高鳴るのを覚えた。
2022/03/09
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