~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第八章 何もかも順調に行っている・・・成功だ
第八章 (3-02)
「牧野の所在は分かりましたか」
河野が熱心な面持ちで聞いたz。
「分かった。今朝、渋川君から連絡があって、はっきりした・・・牧野は伊藤屋旅館の貸別荘に滞在したいる」
磯部は渋川の手紙の内容を伝えた。
「そうですか」河野は血色のよい丸顔にニッコリと満足そうな笑いをうかべて、「それじゃ、なおよく偵察する必要がるから、ぼくはこれからすぐ湯河原へ行きます」
湯河原行きには、河野の指揮に属すげきものとして、栗原の薫陶を受けた民間人の宮田晃、中島清治、水上源一郎、綿引正三らがすでに歩一の機関銃隊に結集して、待機している筈だった。
磯部がそれを伝えると、河野は、
「それでは、栗原中尉に連絡して、出掛けます。じゃ、磯部さん行って参ります・・・お元気で」
まるでその辺に演習にでも出掛けるような気軽さで出て行った。
「大丈夫の意気、正に天を衝くの感ありだ!」
磯部は、目頭に感激の涙をにじませた。
河野を射繰り出して送り出して、部屋にひとり坐ってみたが、磯部は落着かなかった。
── そうだ、西田ともう少し話し合う必要がある!
磯部は不意にそう思った。西田が決行について、一抹の不安を抱いていることが分っているので、この際よく話し合って、完全な了解点にまで達しておく必要がある、と考えたのだった。
「おい、ちょっと出掛けるぞ」
磯部はまたしおう細君に声をかけて、家を飛び出した。
だが、西田の家へ赴くと、西田は外出して不在であった。
磯部は仕方なく、自宅へ舞い戻って、午後六時に来ることになっている山本又を待つことにした。── 山本は法華経の行者ぎょうじゃである。磯部の思想に共鳴して親しく出入りしている男で、予備少尉である。
山本は。六時過ぎにやって来た。
磯部は。これまで直接行動については、山本に何も話していなかったのだが、いよいよ決行の段取りが整ったので、はじめて計画を打ち明けて参加を求めた。すると山本は、言下に応諾した。
「やりましょう!」
── これでまた同志が一人増えた!
山本を交えて簡単な夕食を済ますと、七時になった。出掛ける時刻であった。
「じゃ、行こうか」
二人は玄関に降り立った。
磯部の細君が送って出た。
「お帰りは、何時頃になりますか」
何も知らされていない細君は、いつものようにたずねた。
磯部はちょっと胸が詰まったが、さり気ない風を装って、
「今夜は遅くなるかも知れんから、先にやすめ」
せめてものいたわりの言葉であった。しかもそれが最後の ── 妻に対する精一杯の愛情の表現であった。
磯部は雪の降っている外へ、山本と肩を並べて出て行った。
2022/03/11
Next