~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第八章 何もかも順調に行っている・・・成功だ
第八章 (5-03)
決行には、相当数の兵力を使用するだろうし、それにまた武器弾薬を必要とする・・・だが、栗原らは弾薬庫をどういう風にして開けるか。いつか栗原は、弾薬庫の開け方について、山口に仮定の質問をしたことがあった。山口も仮定としてその方法を話したのだが・・・しかし弾薬庫の鍵は兵器要員助手の石堂軍曹が保管している。
石堂軍曹は、真面目一方の堅物だから、栗原の威嚇ぐらいでは、やすやすと鍵を渡すまい。すると、石堂軍曹の生命があぶない!
山口は愕然がくぜんとそのことに気付いた。急に石堂に会っておきたい気持が動いた。会ってどうするという目算はなかったが、とにかく会っておきたかった。
当番兵を使いにやると、石堂はすぐやって来た。
夜、しかも急に、何用ですか、といった顔で石堂はしゃちこ張っている。
「まあ、掛けろ」
山口はストーヴの傍らの椅子を示した。
石堂は腰をおろした。依然として、何用だろう、といった顔つきである。
山口も、石堂を呼びは呼んだが、面と向かうと何も言うことがなかった。言えばいくらでもあるのだが、それはとういてい言葉にはなし得ない事柄だ。
「君のお嫁さんは、元気がいい」
山口の唇を衝いて出た言葉は、それであった。
「ハイ、お蔭さまで元気であります」
「大事にしてやれよ」
「ありがとうございます」
石堂はかしこまっている。
それでまた言葉を失った。山口は茶碗酒をグイグイあおった。
その間に考えて、いくらか石堂を呼んだ理由にふれた言葉を唇に乗せた。
「君も責任の思い兵器委員助手だから、さぞ心配だろう、世の中というものは、いつ内が起こるかわからんからな」
一体、どういうわけでそんなことを突然言い出したのだろう、といった顔で、石堂は元の中隊長の口許を、黙って見守った。
山口はその視線をはずすようにして、茶碗の酒をまた口に含んだ。
「しかし、何かがあった場合、君の立場として頑張り通せることもあるし、いくら頑張ってもダメなこともあるからな・・・そこだ・・・」
山口は急にまた言葉に詰まった。
言うべきことを明らさまに言えないもどかしさが、山口をいら立たせた。
石堂はじっと山口を見つめていたが、ふいに中隊長は酔っ払っているんだな、と気付いた。
「中隊長殿は、今夜は、何を言って居られるんですか」
気楽に言葉が転がり出た。
山口は、それで急に気付いた。── そうだ。それ以上に何も言いようがない!
「いや、何でもない・・・何でもないんだ・・・ハハハハ・・・石堂軍曹、もう帰って休め」
山口は酔ったふりをして ── 事実もうかなり酔いが廻っていた ──手をふって、石堂を帰らせた。
独りきりになると、山口は急に酔いが増した。あたりの物が伸びたり縮んだりして見える。それと同時に、彼の思考ものびたりちじんだりした。
「もうジタバタしたって、どうにもなるもんじゃない」山口は、独り言をつぶたいた。「成るようにしかならん・・・万事休矣きゅうすだ・・・オレはもう寝るよ・・・寝るよりほか方法があるもんか」
山口はふらつく手に茶碗をもって、一升の最後の一滴まで飲み干してしまった。
「いいか、オレは寝るぞ!」
山口は寝台をまくって、もぐり込んだ。── それでも彼は深酔いの底に残っていた最後の正気をもって、事件が起こった場合を考え、軍服に長靴を穿いたままだった。
山口はすぐ鼾をかきはじめた。
2022/03/17
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