~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第九章 お前らの心はようッく分っとる
第九章 (1-01)
とにかく連隊の一部が、無断出勤してしまったのである。戦場における独断専行を地で行ったのだ。外で何が起こっているかは、言わずと知れたことだった。それは長い間計画され、練られたことだけに、実に整然と行われた。今夜の夜明けにやるな、ということは、週番司令の山口にはピンと来ていた。しかし週番司令が、それをあらかじめ知っているのでは拙い、知っていながら、何らの対策を講じなかった ── ということで、叛乱幇助ほうじょ以上の責任がかかって来る。そこで山口は、オレは何も知らされないし、事実何も知らなかったのだ ── ということに自分をゴマ化し、栗原中尉が持って来た一升酒を、毒まんじゅうでも喰うつもりで平らげ、前後不覚の状態に自分を投げ込んだのである。とても正気で過ごして居られる状態ではなかったのだ。山口のその自己催眠術は、功を奏した。酔いつぶれているうちに、事が整然と行われてしまったのだ。見事に一杯喰わされた! と山口は、周章狼狽する気持の中に自分を置き換えることが出来た。
非常呼集で叩き起こされた週番士官や下士官が軍装に身を固めて、続々と週番司令室に集まって来た。命令受領の下士官は、型通り伝令を一名ずつ伴っている。
いまや連隊全体が、降って湧いたような非常事態に緊張し、不安におののいた。
「全員集まったか」
山口は命令受領者の極度に緊張した顔を、人わたりずっと見廻してから、おもむろに口をひらいた。
「今暁四時頃、連隊の一部の将校が部下の中隊ないし小隊を指揮して、武装出動した。衛兵司令の報告によれば、弾薬庫を開き、実弾を多数搬出した模様である・・・とにかく非常事態が起こったのだ! 連隊は、この非常事態に対処するために、可及的速やかに準備態勢をととのえる必要がある。各命令受領者は、各中隊の人員点呼、異状のの有無を調べて、直ちに週番司令にまで報告せよ!」
命令受領者は、伝令を連れて駆け足で各中隊に散って行った。
そして集まった報告を綜合すると、出動した部隊は、栗原中尉指揮の機関銃隊全員四百名と、丹生中尉の指揮する第十中隊下士官兵約百七十名であった。第十中隊は香田大尉の中隊であったが、香田はその直前に旅団副官に任命されたので、丹生中尉が代わって自己の小隊だけを指揮して出動した模様である。
とにかく事件は、起こってしまったのだ。栗原らの計画は、多分成功するであろう。あとは事態の収拾を、彼等の目的に副うように有利に導くことだけが、残された問題である。
そこで山口は、中隊附の伊藤少尉を呼んでひそかに命をふくめ、岳父である本庄侍従武官長の許に伝令として走らせた。事件の発生をいち早く告げて、上層部の善処方を要望するためである。
それから山口は、連隊長の許に電話で事件突発を通報した。だが、夜明け前の電話はなかなか通ぜず、下士官を伝令に出したりしたあとで、ようやく通じた。
「よしッ、すぐ行く」
小藤大佐の硬い声が受話器にひびいた。
ついで山口は、すぐ近くの官舎に居る師団長の許に、伝令を出した。
連隊長は、すぐ駈けつけて来た。つづいて師団長の堀中将が副官をしたがえて乗り込んで来た。── 師団長は師団司令部にいて報告を聞くよりも、直接蹶起した青年将校らと親交のある山口に話を聞いた方が早い、といった顔つきであった。それに堀中将は、航空本部長時代から技術将校としての山口を、眼に入れても痛くないほど可愛がっていたのだ。
2022/03/28
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