~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第九章 お前らの心はようッく分っとる
第九章 (1-02)
もうその頃には、伝令によって狩り出された営外居住の将校たちがあ続々とつめかけてきた。
彼らは突発事件に驚愕して、色を失っている者もあれば、中には事件に憤激している者もあった。
「── いやしくも陛下の軍隊をみだりに使用するとは何事だ・・・皇軍の恥だ!」
「── 第一、山口が怪しからん。週番司令として適切な処置を欠いている・・・山口を叩ッ切ってしまえ!」
そういう犇めきが山口の耳に飛び込んで来る。興奮と、疑惑と、混乱とが山口を中心に渦を巻いた。
「とにかく事は起きてしまったんです・・・事ここに至っては、冷静に処置を講ずるよりほかないと思います」
山口は連隊長と師団長に、そう意見具申をした。
「そうだ、冷静に処置しなければ・・・」
連隊長も師団長も、ともに肯いた。
師団副官が師団長に向って言った。
「閣下、いずれにしても師団司令部をあけて置くわけには行かんでしょう・・・司令部へ参りましょう」
堀中将は振り向いて、ちょと考えたが、すぐ首を振った。
「司令部じゃ、情報が分かるまい・・・第一師団は、さしあたり、ここを当分の戦闘司令部にするほかない」
戦闘司令部 ── と聞いて、周囲に新たな緊張感がまき起った。そうだ、部隊の一部が出動して戦闘行為に移ったのだから、第一師団を挙げて戦闘態勢に入るのは当然の処置だ。
臨時戦闘司令長には連隊長の小藤大佐が任命された。
そうして一応戦闘司令部が出来たが、肝心の外部の状況が皆目分からない。そこで他の部隊の模様を知るために、歩三に電話連絡をした。すると歩三のつもりで話しているのが近歩三だったりして、慌てふためき、まごついたが、それでも他部隊の出動の規模がようやく分かった。
歩三では、折柄週番司令勤務の安藤大尉が全般的に指揮を取り、自己の第六中隊全員約五百名、それに第一、第二、第三、第七、第十中隊の将兵合計七百名が出動し、近歩三からは中橋中尉が部下約百二十名を動員して出動参加していた。歩一の五百七十名を加えると、総数二千に近い大量出動だ。事件は予想外に大規模なものだった。
そこで次の状況 ── どこで何が起こっているかを、知る必要があった。状況判断である。正確な状況が把握出来なければ、処置の施しようがない。
「連隊長」堀中将が言った。「状況をまず偵察しなけりゃならんが、誰か適当な者は居らんのか」
「それは、山口大尉が一番適任でしょう・・・何しろ情勢に最も通じているのは山口大尉ですから」
小藤連隊長が答えた。
「そうか、それじゃ、山口大尉、行って見て来い」
師団長は、ぞんざいに命令を出した。
「閣下」山口は開き直った態度で言った。「山口は蹶起した連中については、大体のことは知って居りますが、しかしこれだけの事件になったのに、斥候長が大尉ではいけません・・・閣下に意見具申いたしますが、もう少し強力な将校斥候にしていただきたくあります」
「よしわかった」
師団長は肯き返して、またいけぞんざいに命令を出した。
「小藤大佐、斥候長になれ!」
小藤大佐は命令を承諾した。── 後にも先にも、大佐の斥候長は、日本なじまって以来小藤がただ一人である。小藤大佐は、部下から叛乱部隊が出た責任上引受けざるを得なかったのだ。
師団長はつづけて言った。
「山口大尉は、斥候としてついて行け」
「それは困ります」山口はもう一度抗議した。「山口は週番勤務中でありますから、それは出来ません」
「それじゃ、連隊命令で週番を交替すればよかろう」
師団長はあくまで強引だった。
週番交替は、連隊副官立ち合いのもとに連隊長の前で行われる。── ちょうそそこには、連隊副官も、次の週番勤務の番になっている内田中尉も居合わせていた。正式な手続きを経て週番勤務を解かれれば、斥候になることは、山口には文句はなかった。ばかりか、状況偵察にことよせて、飛び出した連中と公然と連絡の出来る絶好の機会で、むしろ望むところだった。それに爾後の上部工作のためにも、クーデターがどの程度に成功したかを、実際に見ておきたかったのだ。
山口は、さっそく週番肩章と日誌を内田中尉に引渡した。
二人は、連隊副官立ち合いの許に、連隊長の前に並んだ。
敬礼。
「── 申告、山口大尉は週番司令を内田中尉に申し送りました」
「── 申告、山内中尉は山口大尉から週番司令を申し受けました」
敬礼 ── それで週番交替がすんだ。
赤い週番肩章を取っただけで、山口は身も心もすっかり軽くなった。
2022/03/29
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