~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第九章 お前らの心はようッく分っとる
第九章 (1-03)
ところで飛び出した栗原部隊は、一体どこに居るか? 山口は大体の判断で、首相邸か、陸相官邸と目ぼしをつけて、連隊当番兵に両方へ電話をかけさせた。ひょっとしたら、電話線は切断さてているかも知れぬ、との懸念もあったが、とにかく両方へ電話をかけさせた。
すると、間もなく電話当番が駆け込んで来て、
「栗原中尉殿が電話に出ました」
「どこだ?」
「首相官邸であります」
山口は電話器の前に立った。
「おい、栗原・・・えらいことをやりおったな?」
いきなりそう浴びせると、栗原は、
「はァ、やりました・・・岡田を完全にやりました」
別に興奮した様子もない。一国の総理大臣を殺害したというのに、落着いたものだ。
これなら事は成功するかも知れない ── と山口は、かえってこちらの興奮を押さえるのに骨折りながら、ひそかに思った。
「いまから連隊長と一緒にそちらへ行くが、経路はどこを通ったらいいか」
多分、要所々々には歩哨が配置されているだろう、それに一々引っかかったのでは手間取る死、面倒だ、との懸念があったのだ。
「経路は、溜池から赤坂見附へ出て、市電の坂をのぼって・・・首相官邸へ来て下さい。私は、しばらくまだここに居ますから」
「それじゃ、歩哨にsぷ言っといてくれ、一々銃剣を突きつけられるのはかまわんからな」
「承知しました」
それで電話を切った。
ともかくも栗原中尉の居所をつきとめただけでも、成功であった。連隊内には、早くも栗原隊が岡田首相を血祭りにあげた、と次から次へと伝わり、新たな興奮が渦巻いた。
山口の提案で、斥候にはもう一人、山口の中隊付の伊藤少尉 ── 彼は本庄侍従武官長へ伝令の役目を果たして、帰って来たばかりだった ── を加えた。何かの場合、戦闘指令所との連絡伝令の役目をさせるためだった。
山口は、これも後で問題になってはとの懸念から、中隊事務担当の曹長に筆記をとらせて、中隊命令を出した。
「── 命令、伊藤少尉は斥候として中隊長に続行すべし」
気があせっているので、たったそれだけのことでも、眼の廻るような忙しさだった。
それに伊藤少尉を伝令に使う場合を顧慮すると、戦線の往復であるから、護衛の兵隊二名がどうしても必要であった。そこで兵二名を、大急ぎで選んだ。
「これで万事よし、と・・・」
だが、中隊長室の隅には、もう一人急いで処置しなけれなならぬ者が、しょんぼりと佇んでいた。兵器委員助手の石堂曹長である。
石堂は、栗原中尉らに、弾薬庫の鍵を奪われた責任感ですっかり青ざめ、心ここにない、といった顔つきで、ボンヤリと空間をみつめている・・・放って置いたら、自殺するかも知れない!
そこで山口は、この石堂曹長も斥候として帯同することに、とっさに決心をきめた。但し、この方は山口の独断専行であった。
「石堂曹長は斥候として連隊長に続行する・・・分かったな」
石堂は山口の部下であるが、いまは成績抜群を買われて連隊の兵器委員助手であった。
石堂は、びっくりしたように顔をあげたが、それでもすぐ、
「石堂軍曹は、斥候として、連隊長殿に続行します」
紋切り型の復唱をして、武装するために駈け出して行った。
斥候は、それで小藤大佐以下六名になった。
営門前には、山口の機転で、円タクが何台も呼び入れてあった。運転手たちは、何事かも分からず、ぼんやりと、いくらかは怪訝そうな顔で、雪の上に辛抱強く待機していた。
いつの間にか、夜がすっかり明けはなれていた。
山口たちは、待たせてあった円タク二台に分乗し、積雪の中を出発した。
2022/03/29
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