~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第九章 お前らの心はようッく分っとる
第九章 (3-02)
新井は連隊長が一同に意見を求めた時、言いたいものを持っていたが、平素から急進と目されていた手前もあり、あまり出しゃばっては、と自分を押さえた。
彼の彼の考えによれば、この際は軍当局が態度をハッキリと表明し、連隊はそれにそって行動する ── それより外なかった。ただ、その第一段階として、とにかく国民大衆に騒がれることは禁物なので、それには言論の統制が必要であった。つまり戒厳令を布くのである。戒厳令を布いて、放送局や新聞社の報道関係を押さえてしまう・・・新井の考える戒厳令は、言論統制のためのそれであった。
新井は、それを連隊長に意見具申しようか、しまいか、迷った。だが「青年将校が引込んでいてはダメだ」という先輩の言葉に動かされ、それに連隊の将校団の無定見な態度に対する不満、とくに右するにも左するにも決死の覚悟を要する、との見地から、消極的であってはならぬ、と自分を戒め、意を決して連隊室を訪れた。
「軍当局は、取りあえず戒厳に進まれるよう、連隊長殿から軍中央部に意見の具申をお願いします」
新井が威儀を正してそう述べると、連隊長はキョトンとした顔つきで、
「戒厳に進むと、どこがいいのか」と反問した。
「戒厳に進めば、軍は言論の統制が出来ます。革新するにもよし隠密に彼らを撤退させるにもよくあります」
「そうか」
連隊長は肯いたきりだった。
新井もそれだけ述べれば、もう用事はないので、連隊長室を退出した。
すると連隊長は、一応出動部隊の状況を見届けるためか、大隊長以下の幹部数名と一緒に、臨時雇いの乗用車で三宅坂附近の現場に赴いた。
が、間もなく戻って来た。
新井は連隊長に呼ばれた。
「どうだ」連隊長は新井を見つめてたずねた。「君はあの連中を隊に帰らせるよう・・・説得は出来ないか」
連中を帰らせる? 彼らは必死の覚悟で蹶起したので、その気魄で軍当局を押し切ろうとしているのだ。それだけに彼らが恐れるのは、その独断専行が是認されるか否かである。
今、連隊長は「彼らを隊に帰せぬか」という。してみると、連隊長としては彼らの独断専行を認めない腹であろう。これは重大な分岐点である! 連隊長が軍当局の意向を体して、彼らの行動を認めぬなら、認めぬと、これを明確に彼らに伝えない限り、彼らはあくまで頑張るだろう。彼らも決死の覚悟なら我もまた決死の覚悟でこれを伝えなければならない。下手をすれば殺されるだろう。だが、殺されても致し方ない。それ以外に、彼らを帰す方法はないのだ。
「それでは、新井、説得に参ります」
彼は、やや強い口調で決意を述べた。
すると、連隊長は、
「公算はあるのか」とたずねた。
公算 ── そんなものはない。そんな生やさしい考えで、説得の役目が勤まるか。ただ死ぬ気で行くだけだ。
新井は憤然として言った。
「公算は五分五分です!」
そして連隊長室を退出しようとすると、連隊長は危険を感じたのか、あわてて呼び止めた。
「待て、行くのは待て・・・!」
2022/04/01
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