~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第九章 お前らの心はようッく分っとる
第九章 (5-01)
磯部は正門付近の状況を一ト通り視察すると、また邸内の大広間へ引き返した。
川島陸相は、第一連隊長の小藤大佐と山口大尉を相手に、何やら話し込んでいた。山口が蹶起趣意書を一枚手にして、しきりに喋っているところを見ると、蹶起の趣旨について説明しているのであろう。
磯部は、少し離れた所に斎藤少佐を見出すと、そのまま近づいて行った。
「問題は簡単ですよ。われわれのやったことが、義軍の行為である、ということを認めさえすればいいんです・・・閣下から、そのことを大臣や次官に十分申し上げて下さい」
「そうだよ、義軍だ」と斎藤は肯いた。「義軍の義挙だ・・・あくまでオレはそれを主張してやるよ」
傍らには、いつ入って来たのか、満州事変当時作戦参謀で鳴らした石原莞爾大佐が、傲然と椅子に腰かけていた。石原もまた国家改革思想を持っていたが、皇道派でもなく、オレは違うんだ、という顔をいつもしていた。
栗原中尉が石原を見つけて、つかつかと近づいた。
「大佐殿のお考えとわたし共の考えとは、根本的に違うように思いますが・・・維新に対して、大佐殿はどんなお考えをお持ちですか」
栗原が詰め寄るように言うと、石原はチラッと栗原を見返して、
「ぼくはよく分からん」と無愛想に首を振った。「ぼくのは、軍備を充実すれば、昭和維新になるというんだ。何も事を起こしてまでやる必要はない」
栗原はグッと詰まった恰好で石原を睨みつけていたが、すぐ磯部の方へ寄って来た。
「どうしましょうか」
栗原は目顔で石原を示して、手にピストルを握っていた、
磯部はそれには答えずに、石原を見まもった。斎藤少将が石原に近づいて、何やら話し始めたからだ。
斎藤は二言三言、石原と問答を交した後に、気色ばんだ声音で言った。
「それでは、君ならどうすると言うんだ?」
「説得して引揚げさせます」石原はぶっきら棒に答えた。「どうぢしてもいうことをきかなければ、軍旗を奉じて討伐します」
「何をいうか、貴様・・・!」
二人の声は可成り大きかった。
川島陸相と山口大尉の折衝を見まもっていた十数名の若い連中が、こんどは石原と斎藤に視線を向けた。近くの廊下で軍刀の曲がりを乱暴に靴で踏みつけて直していた林少尉が、そのまま抜き身をブラさげて近づいて来た。
「── 石原なんか、叩ッ斬っちまえ!」
そんな声が廊下で起こった。
ただならぬ気配を知って、山口大尉が割って入った。
石原と山口は旧知の間柄であった。山口の岳父の本庄大将が満州事変当時の関東軍司令官だった関係で、知り合ったのである。そんな関係で山口は石原が満州国の育成に浮身をやつしていた頃、その計画作製に参加し協力したこともあるのだった。
「別室で話しましょう」
山口は、石原を廊下へつれ出した。
石原は、不承々々、山口について出た。
「とにかく、どこかへ隠れて下さい。なにしろ連中は事件を起こして殺気だっているんです、あとはどうにかしますから・・・あなた、余計なことを言うから、悪い」
「そうか、オレ悪いか」
石原はぶつくさ言いながら、それでも廊下をまっすぐに歩いて、別室へ入った。
山口は、広間へ引き返した。
すると川島陸相の前に、真崎大将が立ちはだかるように突っ立っていた。
若い連中がそのぐるりを取り巻いて、真崎大将の一挙一動に、期待を込めた真剣な眼差しを送った。
真崎は、苦り切った顔をしていた。
「とにかく、君はすぐに宮中へ行け」真崎は川島を見据えて、叱りつけるように言った。「君は当面の責任者じゃないか。何を愚図々々しているのか。至急、宮中に伺候しこうして御報告せにゃならん・・・あとは、わしらが何とかするから、すぐ行け!」
「そうか、それじゃ・・・」
川島はフラフラと起ち上がった。顔色が青ざめて、生気がなく、まるで夢遊病者のような身体のこなし方だった。
2023/01/08
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