~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第九章 お前らの心はようッく分っとる
第九章 (6-01)
午前八時三十分 ── 川島陸相は、叛乱軍首脳者との会見を古荘事務次官に任せて、宮中に伺候すべく、自動車で官邸を出た。だが、川島には、天皇に拝謁して何をどう報告すべきか、何の成算もなかった。
警視庁の近くにさしかかると、軍事課長の村上大佐が急ぎ足で登庁して来るのを見かけたので、車を停めて、村上を同乗させた。村上の智慧を借りたかったのだ。
すると村上は興奮の色を浮かべて、
「どういう処置をお執りになりますか」
せき込んで聞いた。
「まだ、何とも・・・」川島はかぶりをふって、「とにかくこれから宮中へ伺候して、現況を奏上しようと思うんだが・・・」
「それで結構です」村上は言った。「爾後の対策などは、早まって奏上されない方がよろしいでしょう」
村上大佐は、どっちかというと、皇道派的色彩のつよい人で、蹶起部隊から事態収拾のための「招致すべき者」の中に挙げられている。
「わしも、そう思っている・・・まあ対策は、宮中に軍事参議官を集めて、協議した上の事だ」
「それでは、すぐその手筈をととのえましょう」
北上は、宮内省まで同行して、引き返した。
川島が侍従武官長室に赴くと、本庄は待ち構えた様子で苦り切っていた。部屋には侍従武官の中島鉄蔵少将も居合わせた。
さっそく拝謁の手続きをしてもらうと、すぐ「拝謁を許す」との沙汰があった。
川島は御学問所の拝謁室に伺候した。
天皇がお出ましになり、川島はハッと低く頭を垂れたが、何をどう申し上げてよいか、言葉に窮した。で、頭を垂れたまましばらくは無言で立ちつくしていた。
すると、天皇がしびれをきらして、声をかけた。
「陸軍大臣には、叛徒・・の処置をどうするつもりか」
先手を取られた形であった。
「ハッ、今暁五時頃・・・」
川島は陸軍省、参謀本部、陸相官邸が蹶起部隊によって占拠された状況を述べ、蹶起部隊については、香田大尉や山口大尉から聞いた通りのことを喋った。それから「対策は追って協議の上改めて奏上します」と言うべきだったのを、香田屋山口から「強力内閣をつくって速やかに事態を収拾せよ、皇軍相撃はゼタ朕避けねばならぬ」と強く叩き込まれていたので、ついそれを口にしてしまった。
「かような大事件が起こりましたのも、現内閣の施政が民意にそわないものが多いからと存じます。国体を明徴にして、国民生活を安定させ、国防の充実をはかるような施策を強く実施する強力内閣を、速やかに作らねばならぬと存じます」
すると天皇は、いらいらした不興気な御顔で、
「陸軍大臣は、そういうことまで言わないでもよかろう。それより叛乱軍・・・を速やかに鎮圧する方法を講ずるのが、先決要件ではないか」
天皇は叛徒といい、叛乱軍とはっきり言ったのである。
それで川島もハッと気づいた。── これは全く余計なことを申し上げたものだ!
恐懼軍きょうくの至りでございます」
川島は汗をかいて、頭を垂れた。
川島が御前を退下して侍従武官長室に退っていると、杉山参謀次長が副官を伴って、せかせかした足取りでやって来た。
杉山もすぐ手続きをとって拝謁、一般状況について委細奏上した。
2023/01/09
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