~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第九章 お前らの心はようッく分っとる
第九章 (6-02)
軍事参議官でもっとも早く参内して天機奉伺をしたのは、寺内大将であった。寺内は大磯に住んでいたが、その朝副官から事件突発の電話を受けると、すぐ上京したのだった。
寺内が天機奉伺をすませて、侍従武官長室で休んでいると、問題の真崎大将が海軍の加藤寛治大将と同道で参内して来た。
真崎は、侍従武官長室に寺内の姿を見出すと、急に緊張した顔になって、
「君は、何しに来たのか」
そう寺内に浴びせかけた。
突然の叱正で、寺内は何のことかわからず。むっとした顔で黙り込んでいると、真崎は自分の威猛高な態度に気がさしたか、急に態度をやわらげ、
「オレは、こんな事件が起きようとは、前もって少しも知らなかった・・・今朝、加藤大将からの電話で、はじめて知った」と話した。
妙に弁解がましい言い方だった。
何だって真崎大将はそんなことを問わず語るに言うのか・・・ひょっとしたら、事件を何かの方法で予知いていたのかも知れない?
寺内は、逆にそう臆測をめぐらせた。
だが、寺内はそれを詮索せんさくすべくもないので、ただ黙って聞き流した。
そのうちに荒木大将がややおくれて参内し、阿倍、西、植田の各参議官・・・林大将が一番おくれて正午過ぎにようやく姿を現した。宮中には、そのほか香椎警備司令官、杉山参謀次長、山下少将、石原大佐らが続々と参集した。
そこで軍事参議官と侍従武官長、参謀次、警備司令官らは東溜りの間に入って、非公式の軍事参議官会議が開かれた。
荒木大将は「歴代詔勅集」を持ち込んで、しきりに詔勅案を練っていた。折々、別室の山下少将を呼んでは、詔勅案を見せたり、何やら耳うちをしたりしている。
それを見て、杉山参謀次長が苦々し気に川島陸相に向って言った。
「軍事参議官は、陛下の御諮詢しじゅんがあってはじめて御奉答申し上ぐべ性質のものですから、事件処理に当たって色々干渉されては困ります。事態の収拾は軍の責任者たる三長官において処断すべきものだ、と信じますが・・・陸軍大臣の意見を承りたい」
「お説の通り・・・」
陸相は言った。
それを聞いて、荒木大将が弁明した。
「軍事参議官は、三長官の任務遂行を妨害する意志など、ごうも持っていない。ただわれわれは軍の長官として、道徳上、この重大事を見るにしのびないから奉公の誠を尽くそうというのです」
そんな問答があった後に、一向は蹶起部隊に対する対策の協議に移った。
川島陸相、天皇からたしなめられて、それでかえって御内意を承った形になったせいもあって、三段構えの対策を、かなり強気に主張した。
一、勅命を仰いで屯営に帰還すべくさとす。
二、聴かざれば厳戒令を布く。
三、次いで内閣を組閣する。
これに対して荒木大将が発言した。
「陸軍大臣の対策は、結構であるが、それよりも前に、まだわれわれのやってきたことを回想すると、国体の明徴、国運の開拓に努力はしたものの、その実績は挙がっていない、それがために今日の事態を引き起こした、とも言える。であるから、この際もし対策を一歩誤れば、取返しのつかんことになるおそれがある。これは十分考えなくちゃならんと思う。わたしはこの際は、維新部隊・・・」荒木は、そういう名称で呼んで、「・・・に対しては『お前たちは静かにせよ、われわれ軍事参議官は出来るだけお前たちの希望に副うように努力しよう。それには軍事参議官一同は、死をもって実施に当たるから、お前たちは兵営に帰営せよ』と説得すべきだと思う。そしてもし説得をきかなかったら、川島案の勅命を拝することにしては、どうか。それでも応じなかった場合は、討伐するより外ない・・・なおこの際もっとも注意しなければならんのは、左翼団体の暴動で、これがゴタゴタに便乗して起きたら、国難を来すおそれがある」
左翼の蠢動しゅんどう ── ということについては、誰しも漠然たる不安を持っていた。荒木は左翼団体といったが、団体組織そのものは、昭和三年の三・一五事件以来、相次ぐ共産党弾圧で根こそぎ刈り取られて、今は何一つ残っていない。
だが、それは表面上であって、思想という眼に見えない組織は、どこへで潜りこみ、棲息しつづけ、時と条件を得ればすぐ眼を擡げるものだ。国家の上層部に居る連中がいつも不安に怯えるのは、その眼に見えない思想の動きであった。
考えようによれば、それは軍部の内部にも潜んでいるかも知れない。皇道派といい、統制派というが、中堅層以下の若い将校たちの抱懐する国家改革思想の中には、共産主義と紙一重のものがある。それは天皇を奉載するか、否か、の相違だけで、クーデターによる新政権の樹立 ── それは共産主義革命の方法戦術となんら異なるところはないのである。
2023/01/11
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