~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第九章 お前らの心はようッく分っとる
第九章 (6-03)
荒木大将に続いて、真崎大将が発言した。
「左翼団体の警戒には、全力を注ぐ必要がある。それには維新部隊を、そのまま警備に充てるが如く取扱うことが一番いいのではないか」
だが、これらの説教的な発言に対しては、他の軍事参議官は誰も反対もしなければ支持もしなかった。つまり蹶起部隊と何らかの脈絡のある荒木、真崎をのぞいては、何をどう処置したらよい、途方がつかなかったのだった。
ただ一同の一致した気分は、早くこの大それた事件を、平穏裡に解決しなければならない、ということだった。それには蹶起部隊を説得して、一刻も早く撤退させることだが、しかし蹶起部隊が説得だけで易々と撤去するか、どうか。
「こういう情勢では、陛下の御沙汰でも仰がないと、退きますまいなあ」
西大将がぼやいた。
{いや、御沙汰は畏れ多い!」荒木大将が強く反対した。「われわれがこんあに大勢いて、なんらつくすところなく、直ちに御沙汰とは、恐懼の至りです・・・誰か説諭の原案を作ったらどうだろう」
そんなことで結局荒木、真崎の意見に引きずられて、説得要領を作製することになり、隣室に控えていたq調査部長の山下少将と軍事課長の村上大佐が協議して原案を作った。
それに二、三の参議官が修正意見を加えて、説得要領は出来上がった。
ところで、それを告示するのに、告示責任者を誰にするかが問題になった。
「それは陸軍大臣にすべきだ」
参議官の意見はそれに一致した。
これが後に問題となった「陸軍大臣告示」である。
   陸軍大臣告示(二月二十六日午後三時三十分 東京警備司令部)
一、蹶起の趣旨については天聴に達せられあり。
二、諸子の真意は国体顕現の至情に認む。
三、国体の真姿顕現(弊風を含む)に就いては恐懼に堪えず。
四、各軍事参議官も一致して右の趣意に依り邁進することを申合せたり。
五、これ以外は一に大御心に待つ。
第二項の「諸子の真意」は、原案では「諸子の行動」となっていたのを、植田大将が反対して、「真意」と訂正させたのだった。
だがそれが実際にガリ版刷りとなって山下少将が蹶起部隊の将校その他に配布したのには、元のままの「行動」となっていた。
故意か、印刷の間違いであるか、それともこの成案が出来たのを非常に喜んで、すぐさま筆記して、電話で通達した香椎警備司令官の読み違えであるのか・・・電話の際、偶然そこに居合わせた真崎大将の副官藤原少佐の話では、香椎中将の電話送致には一言半句も間違いなかった、と言う。
第一項の「天聴云々」にも反対意見が出た。文理だけでは、単に天皇に申し上げた、と言うに過ぎないが、冒頭にいきなり掲げた文句の調子では、「お前たちのやった趣旨は天皇陛下も御嘉納になったぞ」という、強い意味にも受取れる。
軍事参議官たちは、何度も口に含んでみて、首をひねった。
だが、それに対して真崎大将が強く主張して譲らなかった。
「天聴に達した、ということを言わなければ、蹶起将校はとうてい説得に応ずるものではありません」
結局、真崎の主張が通って「天聴云々」はそのままになった。
山下少将が「告示」を蹶起将校らに読みきかせる役目を仰せつかったので、すぐ宮中を出ようとすると、真崎大将が呼び止めて、しきりに念を押した。
「叱ってはいかんぞ。おだやかに、すぐ原隊に帰れ、と説得するんだぞ」
「承知しました」
山下少将は大きな身体をゆさぶって、出て行った。
2023/01/11
Next