~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第九章 お前らの心はようッく分っとる
第九章 (6-04)
第一師団は、すでに午後二時四十分、天皇の裁可を得て戦時警備令下に入っていた。
つづいて午後三時、香椎警備司令官は、戦時警備令で蹶起部隊を「警備部隊」に編入して、その占拠している地域の警備を命じた。
   軍隊に対する告示
一、第一師団管内一般の治安を維持するため、本日午後三時第一師菅戦時警備令を下令さる。
二、本朝来出勤しある諸部隊は、戦時警備隊の一部として新たに出動する部隊と共に師菅内の警備に任ぜしめられるものにして、軍隊相互間に於いては、絶対に相撃をなすべからず。
三、宮中に於いて大臣等は、現出動部隊の考えあることは大いに考えありしも、今後は大いに力を入れ、これを実行する如く会議に申合せをなせり。
そしてこれとほぼ同様な作戦命令が、近衛、第一師団に出された。
これで蹶起部隊は「叛乱軍」でも「賊軍」でもなく、皇軍の一部として、第一師団の小藤第一連隊長の指揮下に入ったのである。
戦時警備令につづいて作戦命令が出た時、堀対一師団長は、司令部に歩一と歩三の連隊長を招集して、命令を下達した。
その時、歩一の連帯副官として随行した山口大尉は、師団長に向かってたずねた。
「閣下は、それではどういうお腹で進まれるおつもりですか」
「オレ腹か」堀は実際に自分の腹に手をあてがって、「オレの腹は、この際悪いものはみんな直してしまえ、というんだ」
山口はそれを聞いて満足し、陸相官邸へ引き返した。
ちょうどその時、山下少将が宮中からやって来た。山下は相変わらずむッりした顔で、
「陸軍大臣告示」を伝えるからと言い、蹶起将校の集合を命じた。
香田、村中、磯部、対馬・・・それに警視庁から様子を見に来た野中大尉が加わって、第一会議室に集合した。
会議室には、古荘陸軍次官、鈴木大佐、西村大佐、満井中佐、それに山口大尉らが立合いとして列席した。
山下少将は蹶起将校らに向って、おもむろに口をひらいた。
「それでは『陸軍大臣告示』を読むから、皆よく聞け」
山下は太い嗄れた声で、一語々々、ゆっくりと読んだ。
読み終わると、
「分かったか」と一同を見廻した。
対馬中尉が真っ先に質問した。
「それでは、軍当局はわれわれの行動を認めたのでありますか」
すると山下少将はむッつりとした表情のままで、
「それは何とも言えん・・・では、もう一度読むからよく聴け」
山下はまたゆったりと読みあげた。
「それでは、われわれの行動は、義軍の義挙であるということを認めたわけですか・・・少なくともそう解釈してよいのでありますか」
今度は磯部が訊ねた。
だが山下は、また答えずに、
「もう一度読む・・・」
そして山下は、都合三度「陸軍大臣告示」を読み上げて、あとは一言も発せず、さっさと引揚げてしまった。
どうなりと勝手に解釈しろ ── といった態度であった。
一同は狐に鼻をつままれたような気分で、ポカンと顔を見合わせた。
── 一体、おれ達の行動は認められたのか、認められないのか?
だが、立ち合いの人たちは、「告示」を聞いて、何やら愁眉を開いた様子だった。
「とにかく、参内して、君らの行動部隊を現位置にとどめておくように陸軍大臣に連絡し、尽力するから・・・」
古荘次官はそう言い残して、そそくさと出掛けた。
西村大佐も起ち上って、
「香椎中将に連絡して、やはりこのまま位置にとどめておくようにする」
これもそそくさと官邸を飛び出した。
もう日が暮れかかっていた。
雪は麻からずっと降りつづいている。雪の中での兵たちの労苦を思うと、休養を与えたかったが、軍首脳部の態度が曖昧模糊あいまいもことしているので、警戒をゆるめることも出来なかった。
降りしきる雪の中を「天聴云々」の告示が伝わったのであろう。
「── 万歳!」
「── ばんざあい!」
という兵士たちの喚声が、遠く近く聞こえて来た。
2023/01/12
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