~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十章  人無し、勇将真崎あり、
国家正義軍のため号令し、正義軍速やかに一任せよ
第十章 (1-01)
上を下への大混乱であった。何をどうしたらよいのか、議論百出で、事態の収拾がつかない。ただ混乱のまま、いたずらに時が過ぎて行く。
夜に入って、後藤内相が臨時首相代理に任命された。直ちに閣議を開いて内閣は総辞職するすることになり、午後七時、後藤首相代理は辞表を取りまとめて奉呈した。
すると天皇からは、
「── 秩序の落ち着くまで、そんじょ職をつくせ」
との御言葉が下された。
混乱を重ねる陸軍首脳部の間に、叛乱将校たちが、
一、陸軍当局はわれらを叛軍、義軍のいずれと解しあるや
二、真崎内閣、柳川陸相・・・。
等の要求を強硬に主張していることが、伝わって来た。陸軍首脳部は鳩首凝議した。
だが、陸軍首脳部 ── なかんずく参謀本部側は、今朝陸軍大臣が上奏の際に後藤内閣の件にふれて、天皇からその筋違いを叱正された言葉にかんがみ、「陛下に強要し奉るがごとき意見は一切不可なり、断じて上奏し得ず」との立場をとって、それを叛乱将校らに伝達させた。
すると叛乱将校らは、要求の形式を変更してきた。
「── それでは、内閣をしてこれらの条件を実行させる旨を声明されたし」
参謀本部側は、この条件に対しても不同意だった。が、問題の性質上、参謀本部の干与すべき事柄ではなかったので、強いて反対を表明しないでいると、川島陸相がこれを閣議に提出した。だが閣議の意見は、「間もなく総辞職すべき本内閣が、その実行を約して声明するは、子供だましに過ぎず」として、これを一蹴したのだった。

ちょうどその頃、陸相官邸の広間では、参謀本部の土井少佐が磯部に向って、しきりに熱をあげていた。── 土井少佐は騎兵出身で、磯部とは顔見知りであった。
「君らがやったからには、われわれもやるぞ」土井はいきまいた。「皇族内閣ぐらいつくって政治も経済も一切改革して、軍備充実をせねばならん。どうだ、われわれと一緒にやおる・・・君らは荒木とか、真崎とかいうが、あんな年寄りなんか担いだって駄目だ。何も出来やせん。あんなのは、みな辞めさせてしまわなくっちゃいかんじゃないか」
なかなかの気焔であった。
それに皇族内閣とは、この際どこから割り出した意見なのか。
磯部は才気走った相手の言葉が胸にこたえたので、思わず相手を見据えて、
「維新は、軍の粛正から始めるべきです・・・これを少佐は、どいうお考えですか」
「軍の粛正・・・」土井少佐は面喰って、「それはどういうことだ?」
「あなた方 ── 幕僚の粛正から始めるべきだ、というのが、わたしの意見です」
すると土井少佐はグッと詰まった形で、一言もなく、あとは憤った顔でじっと磯部を見つめたまま突っ立っていた。
「おい、磯部」と村中が離れた所から呼んだ。「そんな軍人が幕僚ファッショというんだ。そいつらから先にやっつけなきゃなたんのだ・・・放っとけ・・・こっちへ来い!」
磯部はその通りにした。
土井少佐は、憤った顔のまま出て行った。
入れ代わりに、真奈中佐が広間に入って来た。
真奈中佐は緊張した面持ちで、村中と磯部に向って言った。
「こうなった以上は、われわれもやるが・・・君らは、一体どういう考えで居るのか、どうしようというのか・・・それを聞かせてくれ」
「維新内閣の出現を希望します」
磯部がそう答えた。
「参謀本部では、皇族内閣説があるが、それについて君らは、どう考えるか」
「皇族内閣はいけません。皇族は皇室の藩屏はんぺいですから、万一政治をしくじった場合、累を皇室に及ぼす危険があります・・・・断じていけません」
「そうか、それで君らはあくまでも真崎内閣で行こうというのだな」
真奈中佐はふむ、ふむ、としきりに肯き返した。
するとその時、広間の扉の前に佇んでじっとこれを見守っていた満井中佐が、磯部を呼んだ。
「ちょっと来い」
磯部が何事かと寄って行くと、満井はいきなり、
「真奈中佐から聞いたか」と言った。
「皇族内閣のことでありますか・・・はア、聞きました」
「参謀本部というが、実は石原案なんだ・・・君は、どう思うかね」
「石原案ですか。それなら尚のこと・・・断じて許しませんよ」
磯部は簡単に割り切った。
「オレもそう思う」
満井は同感のしるしに、大きく肯いた。
ちょっとの間、満井は黙り込んで自分の考えを追っていたが、やがて磯部らを見廻して急に言い出した。
「君らがこのままここででブラブラしていると、余計な伴奏が入っていかん。それにぐずぐずしていると、事態の収拾が困難になる・・・宮中へ行こう・・・軍事参議官に直接会って、話をつけよう」
2023/01/14
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