~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十章  人無し、勇将真崎あり、
国家正義軍のため号令し、正義軍速やかに一任せよ
第十章 (1-02)
ちょうど、来邸中の山下少将が、軍事参議官との連絡のために参内する手筈になっていた。
軍事参議官一同が、このような非常事態の際に宮中に籠っていたのでは、事態の収拾を遷延悪化させるおそれがある ── という筒井の意見を、参議官一同に伝えるためであった。
「山下閣下。わたくしもお伴させていただけますんか」
筒井が申し入れると、山下は、
「よかろう」大きく肯いた。
「君らも一緒に行くか」
満井は村中らに向って言った。
「お伴します」
村中が答えると、山下は渋い顔をして、
「君らはここで待った方がいいだろう、オレが参議官をここへ連れて来てやるから」
そして山下は一人でさっさと自動車に乗り込んだ。
「われわれも行こう」磯部が主張した。「ぐずぐずしていると、どんなことになるかわからん・・・とにかく宮中へ行こう!」
一同は、山下少将のくるまを追った。
村中らにとっては、今暁決行以来はざいめて見る外部の風景であった。警視庁前では、椅子やテーブルなどでバリケードを築き、野中部隊の兵が厳然と配置についていた。近くの日比谷や大手前あたりでは、群衆で雑沓をきわめている。突如として起こった非常事態が、東京全市を震撼しんかんさせた模様である。
自動車は平河門についた。
山下少将はそのまま参内を許されたが、満井中佐以下の者は拒否された。
「── どうでしょう?」
一同はまた顔を見合わせたが、しかし他に手段はなかった。
仕方なく、自動車を陸相官邸に引き返させた。
午後九時過ぎ、軍事参議官一同は、山下少将の先導で陸相官邸へやって来た。林、荒木、真崎、阿倍、植田、西、寺内らの各大将である。
会見は、大広間で行われた。
蹶起将校側からは香田、村中、磯部、対馬、栗原の六名に、山下少将、小藤大佐、鈴木貞一大佐、満井中佐、山口大尉らが立会人として列席した。
香田大尉が、先任将校として、蹶起趣意書を読み上げ、陸軍大臣に対する要望事項を説明した。
すると長い口髭をひねりあげながら聴いていた荒木大将が、真先に発言した。
「君らの蹶起の趣旨はよくわかったが、しかし、大権を私議するようなことを君らが言うならば、吾輩は断然君らと意見を異にする・・・御上が、この事件をどれだけ御軫念ごしんねんになって居られるか、君らはよく考えねばならん」
天皇をかさに、大上段に打ちおろすような言い方であった。
一瞬、蹶起将校らはあっけに取られた形で押し黙った。青年将校に理解のある、おわば味方の大将と思われていた荒木から、今更改めてそんなお談義を真向からふりかざされようとは思いがけなかったからだ。
磯部がやや憤然とした面持ちで発言した。
「閣下は大権私議と言われますが、この国家重大の時局に、国家のため、この人の出馬を希望するという国民赤誠の希望が、なぜ大権私議でありますか。国民のために真の人物を推すことは、赤子の道ではありませんか。特に皇族内閣が幕僚間に台頭たいとうして策動がしきりでありますとき、みし一歩を誤ったならば、国体を傷つける大問題が生ずる瀬戸際であります・・・われわれは止むに止まれぬ気持から出発したのであります」
「それは分る。分かるが、しかし・・・」
荒木が何やら言おうとした時、
「皇族内閣は絶対にいけません」
そう村中が高飛車に出鼻を折った。
彼は皇族内閣不可の理由を、理路整然と説いた。
それに対して大将連中は一言も意見を差し挟まなかった。
荒木も得意の長口舌を村中にすっかり押さえられた形で、押し黙ってしまった。
植田大将が何やらこびるような顔つきで、村中に二言三言話しかけた。
「われわれは、われわれの行動が、止むに止まれぬ気持から出た義軍の義挙であることを認めていただきたいのです!}
村中が大きな声で、そう答えた。
「とにかく西園寺、宇垣、南らの奸臣を逮捕していただくことが、急務であります」栗原が癇癪を色白な顔にみなぎらせて言った。「そのうえで強力内閣を組織して、昭和維新に邁進していただきたいのです。そのためには、われわれの蹶起部隊を義軍と認めていただき、現在の占領地域にあって、このまま警備に任ぜられるように善処願いたいのです!」
2023/01/14
Next