~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十章  人無し、勇将真崎あり、
国家正義軍のため号令し、正義軍速やかに一任せよ
第十章 (1-03)
重苦しい、緊張した空気が、広間を支配していた。もはや誰も一言も発しなかった。林大将は生気のない土色の顔を伏せたまま、じっとテーブルの一点をみつめていた。真崎大将は腕組みしたまま、むっつりと押し黙っている。阿倍大将と西大将は一言も発しない。
その緊張した空気をみて、山口大尉が発言した。
「立会人に発言を許していただきます・・・とにかく、蹶起部隊の目的が殺人にあるとするならば、そ目的の大部分は達成されtのであります。しかし蹶起部隊の目的とするところは、殺人ではなく、国家革新にあるのでありますから、その点に御留意願って、何分の善処方をお願いいたします」
それで緊張した空気はいくらかほぐれたように思われた。
「それでは、一体どうすればいいのか」
寺内大将がようやく口を開いた。
磯部がそれに対する回答を、急いで紙片に書きつけた。
「── 軍は軍自体の粛正をすると共に維新に進入スルヲ要します」
磯部はその紙片を各参議官に示した。寺内大将は肯いて、それを手帳に書き留めた。
軍事参議官との会見は、そうしてウヤムヤのうちに終わった。期待した収穫は何も得られなかった。荒木大将の劈頭の発言が、すっかり邪魔をしてしまったのだった。のっけから大権私議だの、天皇の御軫念などを持ち出されて頭を押さえられたので、誰も彼も気持が固くなり、打ち解けて蹶起将校の意見を聞いたり、腹蔵なく語り合ったりすることが出来なくなってしまったのだ。山下少将以下の立会人も、それがため一言も差し挿む余地がなくなった。もしも山下、満井、鈴木のうち舘か一人が縦横の奇策をもって、この会見を維新の方向に有利に導くことが出来たら、天下の事は、この一夜において定まっただろうにと、磯部はひとり歯噛みする思いであった。
「まあ、いいさ」村中が慰め役に廻った。「大将連中だって、会ってみりゃ、何も策がありゃしないんだ。連中は、何をどうしたらいいか分らんのだ・・・とにかく長老連中が、われわれを頭から弾圧する意志を持っていない、むしろ子供たちがえらい事を仕出かしたが、まあ真意はいいのだから、何とか処置してやらずばなるまいというような、いくぶんでも好意的な態度を確認することが出来ただけでも、参議官との会見は成功だと見ていい。あとは、こっちの気魄と団結力で引きずって行くのさ・・・あと、もう一ト押しだ!」
実際、あともう一ト押しで、目的の昭和維新が実現出来そうに思われた。夕方、戦時警備令が発令されて以来、叛乱部隊はそのまま警備隊として小藤大佐の指揮下に編入され、新たに、「地区隊」なる名称を与えられて、所属部隊から公然と食糧薪炭の補給を受けることになったし、「陸軍大臣告示」では「諸子の行動は国体顕現の至情の基づくものと認む」とあり、「蹶起の趣旨に就いては天聴に達せられあり」と明記されてあった。また「各軍事参議官も一致して右の趣旨により邁進することを申し合わせたり」ともうたってある。あとは維新革命を推進するための強力内閣の実現を期するだけだ。
行動部隊の気勢は大いにふるっている騰っている。殊に払暁非常呼集で叩き起こされ、蹶起趣意書を読み聴かされたり、演習名目で連れ出された下士官兵は、今では完全に事件の重大さを意識して居り、昭和維新の捨石になることに大きな意義と喜びを感じている。それだけに整然と規律も守られているし、団結力も強い。この気勢をもってすれば、実際もう一ト押しなのだ。
払暁三時に、戒厳令が発令された。東京警備司令官香椎中将、そのまま戒厳司令官に任命され、蹶起部隊は地区隊として小藤大佐指揮の下に第一師団直轄となった。
「── よし、このまま頑張って居ればいいんだ。あとは尊王義軍の迫力で維新革命へ引きずって行ける・・・万歳!」
蹶起将校らは、いつの間にか行動部隊を「尊王義軍」と称していたのだった。
2023/01/15
Next