~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十章  人無し、勇将真崎あり、
国家正義軍のため号令し、正義軍速やかに一任せよ
第十章 (2-01)
ちょうどその頃、帝国ホテルの一室では、三島から急遽上京して来た橋本欣五郎大佐を中心に、満井中佐、田中弥大尉、それに戒厳参謀となった石原大佐を交えて、事態収拾の善後策について鳩首凝議が行われていた。橋本は、十月事件の首謀者であり、石原また独自の立場から国家改造思想の持ち主であるだけに、それぞれの立場の差異はあれ、この際国家改革を断行すべきだ、という意見には変わりはなかった。
だが、問題は国家革新を断行すべき強力内閣の実現である。蹶起将校らの希望する真崎内閣首班、柳川陸相案は、参謀本部側に強力な反対があって、実現は困難だった。
それならば、誰を内閣首班に持って来るか ── 石原は参謀本部側の意向として皇族内閣を主張し、橋本は十月事件の因縁から建川美次中将をしきりに推輓すいばんした。満井はもとより蹶起将校らの同調者として真崎案を一応固執したが、軍首脳部や参謀本部側に強硬な反対があることを知って、海軍の山本英輔大将を極力主張した。
「皇族内閣は、最後的な案としては、わたしは必ずしも反対ではありません。けれどもこれについては、蹶起将校らは極力反対でありますから、若し皇族内閣ということになれば、事態収拾が出来なくなります」満井中佐はそう論断した。「また建川中将といいますが、建川中将は三月事件の黒幕として、蹶起将校らは頭から忌避きひして居りますし、排除すべき軍人として名前が挙げられているので問題にならんせしょう・・・すると、蹶起将校らの希望する真崎大将が参謀本部側の難色で実現困難とすれば、もはや陸軍内の派閥やイザコザとは何も関係のない海軍の山本大将を持って来るよりほかに人がありません。山本大将は、国家革新思想にも理解がありますし、人格見識共に勝れた人でありますから、蹶起将校らも納得して、必ず平穏裡に維新に進むことが出来るだろうと考えます」
満井の意見は、妥当なところであった。石原も橋本もほぼ賛成した。
「それでは山本大将と、じつ懇な人が居りますから、その人を呼んで意見を聞いてみましょう」
「誰だ?」
石原が聞いた。
「亀川哲也・・・」
「あ、亀川か」
石原は名前は聞いて知っているような様子だった。
満井が電話すると、亀川は在宅していて、すぐ来るという返事だった。
山本内閣は、実は満井の案というよりは、むしろ亀川の構想であった。── 亀川は事件が起きるとすぐ、西田税との事前の打合せにしたがって、真崎大将と山本大将に対する工作に取りかかったのだった。
朝、亀川がいちはやく電話で山本大将に事件の起こったことを告げて善処方を要望すると、大将はかなり渋った態度で、
「それは陸軍の出来事だから、海軍がとやかくくちばしを入れるわけには行かん」
そう突っぱねた。
その時、山本大将はすでに海軍省に出ていたので、その一言で海軍側が事件に対してははなはだ消極的であることが分かった。
「陸軍の出来事と仰いますが、五・一五事件の例もあることで、々陛下の軍隊内で起こった事件です。それを海軍には関係がないからと放置しておくのは、無責任ではありませんか・・・早く善処して時局を収拾するように御努力願います」
亀川が事件の重大さを説いて喰いさがると、山本大将は、
「とにかく宮様も居られることだから、よくお話し申し上げて見よう」
と約束した。
宮様 ── とは、伏見海軍軍令部総官を指す。
亀川は時々刻々の情報を満井中佐や西田税から得ては、忙しく駈け廻った。午後になって、青年将校らの希望する真崎内閣は参謀本部あたりに強硬な反対で実現困難を知ると、亀川はすぐ山本大将をもって事態を収拾させりことを思いついた。
ちょうどその頃、興津に西園寺公を訪問した鵜沢総明博士が帰って来た。電話で連絡すると、博士は興津訪問の顛末てんまつを詳細に話した。
それによると、博士は午前十一時頃坐漁荘ざぎょそうに到着した。門を十数名の警官が固めていて、どうしても邸内へ入れないので押し問答をしていると、顔見知りの熊谷執事が出て来て、ようやく邸内に通された。熊谷執事の話では、老公は東京からの電話通知で事件を知り、直ちにある個人の家に非難している、という。
そこで博士は、このたびの事件は、元老を除いてそれ以外の重臣たちに対する行動で、老公の身辺は大丈夫であるから、速やかに上京参内し、時局収拾に努められたいこと。内閣首班の奏薦そうせんは老公の御考慮にあることで、もとより他の容喙ようかいを許さないところであるが、現下の陸軍を収拾するためには、青年将校らのもっとも信頼し尊敬している真崎大将らをもっとも適任であると認めること。後継内閣の御下問に奉答せられるに際しては、従来のように重臣会議を開く必要はないことなど ── 大体亀川が今朝品川駅に博士を見送った際に吹き込んだ意見をそのまま熊谷執事に述べて、西園寺公に伝達方を依頼した、とのことだった。
亀川の政治工作は、先ず第一段の成功を収めた。といっていいだろう。彼はそれを知ると、海軍省の山本大将に電話でそのことを報告し、重ねて」善処方を依頼した。
それから彼は久原邸を訪問し、情報を伝えて、新たな国家情勢に対応すべき政治体制について、意見擬すんした具申をした。つまり彼の構想によれば、政友会と民政党は共に解党して一体となり、挙国一致の体制をとるべきでさあった
2023/01/17
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