~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十章  人無し、勇将真崎あり、
国家正義軍のため号令し、正義軍速やかに一任せよ
第十章 (6-01)
八時頃、村中は夜陰に乗じてこっそりと部隊を抜け出し、中野の北一輝宅に連絡に赴いた。
北宅に潜伏している西田に会い、今後の措置について指示を仰ぐためであった。北宅には、ちょうど亀川哲也が来合わせていた。
そこで北と亀川とを加え、四人で情報を交換し、今後の措置を相談した。
「軍事参議官から、いまだに回答がないというのは・・・」と北が村中に言った。「わたしの考えるところでは今回のことは、陸軍が出した事件であるから、陸軍の参議官だけで話を決めるのは少し心苦しいところがあるのではないか、と思いう。それで昼間、薩摩雄次君が見えたので、わたしは第三者の立場にある海軍側から、真崎大将に時局収拾を一任しようと出て来れば、陸軍の意見を一致させるのに都合がいいだろうと考えて、さっそく薩摩君に頼んで、加藤大将にその向きを電話で申入れさせたんです。すると加藤大将は、ちょうどよい都合に、いま小笠原長生中将が来ている、この際は時局収拾が焦眉の急だから、青年将校が左様に折れて出てくれたとなれば、まことんび結構ですから、さっそく小笠原君とも相談して尽力しよう、ということでした・・・それから二時間ばかり経って、薩摩君がもう一度電話すると、加藤大将は、小笠原君と相談してすぐ伏見軍令部総長宮様にお眼にかかって意見を申し上げた、そうしたら宮様は、明日早朝参内して、拝謁を願い、意見を奏上しよう、と約束されたということだった・・・だから、海軍は挙げて君らを支持していると考えてよろしいわけだ」
「しかし海軍省を警備している陸戦隊が、機関銃をわれわれの方に向けて、しきりに敵対行為を示していますが・・・あれはどうしたことですか」
村中が憤然とした面持ちで質問をさし挟んだ。
「それについては、ぼくから小笠原中将に、海軍側の敵対行為を抑制してくれるように申入れてある」と西田が引取って言った。「だから、それは問題ではない・・・とにかく海軍側が一致して君らを支援しつつあるのは、もう間違いない事実だ・・・外部の一般情勢も、漸次蹶起部隊に有利に展開している。全国各地から、数千にのぼる激励電報が来ているところから推しても、情勢は有利だから、軍事参議官から正式な回答があるまでは、現在の占拠を続けていた方がいい」
西田はそのほか同志の杉田省吾や渋川善助を使って、全国各地の右翼団体に働きかかていることなどを話した。
「この際、これを契機として、これまで敵味方に別れて雑多に存在していた愛国団体をすべて解体して、一つにまとめるんだ。そして維新を促進するために、全国的に輿論を喚起して、広範囲の国民運動に展開する必要がある」
西田は、そう構想を語った。
二十分ほどで、村中は北の家を辞去し、またこっそりと部隊にもぐり込んだ。
「要するに、北さんと西田さんの意見は、軍事参議官から正式な回答があるまでは、ここを動くな、ということだ・・・」
村中は、同志たちにそう報告した。
その夜十一時頃、どこからともなく不穏な情報が蹶起部隊に持ち込まれた。── 本夜首相官邸を夜襲して、蹶起部隊の武装解除を行う!
田中隊と共に農林大臣官邸に宿営していた磯部は、その通報に接すると、すぐさま首相官邸へ駈けつけ、栗原中尉とその対応作戦を協議した。
「これは、単なる風評じゃないよ」と磯部は興奮を面にあらわして力説した。「軍事参議官からいまだに回答がないのは、何かたくらにがあるな、と思っていたが、やっぱりそうだったんだ・・・おめおめ敵の夜襲を待たないで、逆にこっちから先手を打とうじゃないか。偕行社と軍人会館を襲撃して、反対勢力を一挙に転覆してしまおうじゃないか」
「それも手ですね」
二人が鳩首凝議しているところへ、林少尉がのっそりと入って来た。磯部が夜襲の風評を伝えると、若い林はちょっと考え込んだが、すぐ、
「それはデマじゃないですか」と言った。「われわれは戒厳令司令官の隷下に配属しているんですから、戒厳部隊を襲撃することはないでしょう」
「そうかな・・・?」
磯部は首をひねったが、しかし林の見解が正道の理窟である。
「それにしても、万一、ということがあるから、警戒だけは厳重にしておこう」
磯部が提案した。
栗原は磯部の意見にしたがって、平河附近の警戒線の要所々々に重機関銃を配置して、万一に備えた。
だがその夜は、林説の通り、何事も起こらなかった。
蹶起部隊の将兵は、一夜、ぐっすりと睡った。
2023/01/28
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