~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十一章  写しでない、本物の奉勅令を持ってきた
第十一章 (2-01)
戒厳司令部の会議室では、香椎司令官を中心に、軍事参議官の荒木、林、寺内の三大将と、川島陸相、古荘次官、杉山参謀次長らが会合していた。荒木と林は自分の意志で勝手にやって来たのだが、陸相と参謀次長は、戒厳司令官を通じて満井中佐が意見具申のために招請したものだった。
すでに夜明けの五時に、奉勅命令が戒厳司令官に交附されていた。そこで司令官は戒厳令を下し、奉勅命令とともに陸相官邸でこれを小藤大佐に内示したのだった。
── 若し蹶起部隊がこの命令に服し、撤退すれば可なるも、然らざる場合においては、正午または午後一時を期し攻撃を命ずる!
満井中佐は来会した諸官に、自分の意見を印刷した文書を配った。前夜、陸相官邸で村中からきいた意見を骨子にして起案したものだった。
(イ) 維新部隊は昭和維新の中核となり、現在地に位置して昭和維新の大御心の御渙発を念願しつつあり。右部隊将校らは皇軍相撃の意思は毛頭なきも、維新誠心抑圧せらるる場合は死を覚悟しあり。また右将校らと下士官兵とは大体において同志関係にありて結束固し。
(ロ) 全国の諸部隊には未だ勃発せざるも各部隊にも同様維新的気勢のあるものと予想せらる。
(ハ) この部隊を断乎として撃つ時は全国的に相当の混乱起こらざるやを憂慮す。
(ニ) 混乱を未然に防ぐ方法としては (A)全軍速やかに維新の精神を奉じ、輔弼ほひつの大任を尽くし、速に維新の大御心の渙発を仰ぐこと。(B)これがため速に強力内閣を奏請し、維新遂行の方針を決定し、諸政を一新すること。(C)若し内閣奏請擁立急に不可能なるにおいては、軍において、輔弼し、維新を遂行すること。右の場合には維新に関し、左の方針を最高意志をもって御決定の上大御心の渙発を詔勅都市て仰ぐこと。維新を断行せんとす、これがため建国精神を明微にす、国民生活を安定せしむ、国防を充実せしむ。(D)万一不可能の場合、犠牲者を最小限度にする如く戦術的に工夫し、維新部隊を処置すること但しこの場合、全軍全国に影響を及ぼさざることに関して大いに考慮を要す。これが実行は影響する所大なるべきをもって、特に実行に先だちまず現状を奏上の上御裁可を仰ぐを要するものと認む。
満井案の討議に入るに先だって、石原大佐が発言をもとめ、軍事参議官の退場を要求した。つまり現役でない軍事参議官の干渉をおそれたのである。
だが、それを押して、荒木大将がまず発言した。
「軍の長老としてわれわれの参議官は、軍首脳部に干渉するが如き意志は、毛頭持たない・・・が、われわれ参議官は、本朝に至って切迫した状況を知ったので、一同相談の結果、叛軍を武力討伐するにおいては、極めて重大な影響があるので、意見を提出します・・・事件当初から参議官一同が主張してきた通り、皇軍相撃は避けられたい。市民に損害を与え、官民、地方その他色々と不利な影響を与えるので、討伐の断行は、御上に対しても恐懼に堪えません・・・手段をつくして、これを回避するよう希望します。かれらの行動の怪しからんことは議論の余地はありません。けれども、また吾人の戦友であるから、その点に留意して日本軍らしき態度に出られるようにしてもらいたい。また占拠部隊の将校は、最後の日本武士たるの態度を明らかにしてもらいたい・・・下士官以下を傷つけないようにして、皇軍と国民との関係を悪化させないように努めてもらいったい」
要するに荒木大将の意見の要点は、兵力使用の回避であった。
石原大佐は荒木の発言の終わるのを待って、ふたたび要求した。
「軍事参議官御一同の御退席を願います」
参議官一同は、石原のしつこい、断乎たる態度にあって、すごすごと退出した。
2023/02/02
Next