~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十一章  写しでない、本物の奉勅令を持ってきた
第十一章 (2-02)
会場に残ったのは川島陸相、杉山参謀次長、香椎司令官、その他関係首脳部だけだった。
香椎司令官が起立して、厳粛な面持ちで発言した。
「戒厳司令官として意見を述べます・・・この機会に及んで平和解決の唯一の手段は、昭和維新断行のための御聖断を仰ぐよりほかはありません。自分は今から参内して上奏しようと考えます・・・上奏の点は、昭和維新を断行する御内意を拝承するにあります。目下の状況では、叛乱軍将校は、たとえ逆賊の名を与えられても奉勅命令に従わないという固い決心を待って居ります。奉勅令は、周囲の状況上、未だ出してありませんが、それを出せば皇軍相撃も必然であります・・・兵には、まったく罪はないのであります。責任は幹部将校にあるだけでありまして、この罪は軍法会議に於いて問えば、それでよいわけです。しかも叛乱将校とても、その主張する主義精神は、まったく昭和維新の精神の横溢おういつであります。深くとがむべきではありません。また場合によっては、後に大赦を仰せ出されることも考えられます・・・元来、かれらは演習名目で出動したものでありまして、他に何らの意志もないのであります。もし、これに対して兵力を使用するとなれば、近くの皇居にも弾丸が飛び、外国公館に損害を与え、無辜むこの人民に負傷させる結果になりますから、これは絶対に避けなければなりません・・・もともと自分はかれらの行動を、必ずしも否認いたさない者でありますが、特に皇軍相撃という事態に立ち到ったならば、かれらを撤退せしむべき勅命の実行は不可能となります」
事件勃発以来、香椎司令官の言動には、蹶起部隊に対する同情的なものがちょいちょい見受けられたが、いま奉勅命令が下り、討伐か否か、重大な岐路に起つとき、責任ある司令官として、彼は最後の切り札を出したのだ。瞬間、一同は息をのんで沈黙した。
すると、杉山参謀次長ががっちりした身体をやおら起こした。彼はぶっきら棒な嗄れ声で反対の意見を述べた。
「全然不同意です。二日間にわたって所属長官から懇切に諭し、軍の長老もまた身を屈して説得したにも拘らず。これを聞き入れる様子は更にありません。もはや、これ以上の説得は、軍規の維持という点からしても許すことは出来ない。また陛下に対し奉り、この機に及んで昭和維新断行の詔勅しょうちょくを賜るようお願いすることは、恐懼に堪えません。統帥部としては、断じて不同意です。奉勅命令に示された通り、」兵力をもって直ちに討伐すべきであります」
を承っているので、それが彼の強硬な態度を支える力となっていたのである。人一倍秩序を重んずる天皇は、謀叛将校に対しては統帥権を乱したものとして、極度に立腹されておられる 杉山はまた統帥部の責任者として、件以来、事毎に拝謁して帷幄いあく 奏上し、御内意を承っているので、それが彼の強硬な態度を支える力となっていたのである。人一倍秩序を重んずる天皇陛下は、叛乱将校に対しては統帥権を乱したものとして、極度に立腹されておられる。 戒厳司令部の編成と、司令官に警備司令官の指揮種族の御裁可を仰いだ際も、堪能は杉山に対して「叛軍を徹底的に始末せよ、戒厳令を悪用しないように」と仰せられた。殊に天皇は側近の重臣をうしなったことで、嘆きと憤りを一緒にして居られる御様子であった。それゆえ堪能は、昨夜叛乱軍討伐の奉勅事命令の御允裁ごいんさいを仰ぐべく杉山が拝謁すると、至極満足な御様子で、直ちに御允裁になったのだった。
その際、杉山はこう奏上した。
「皇軍相撃はととめて避けたいと存じます。目下、軍事参議官は軍の長老として所属部隊長と共に極力叛乱軍を説得中でありますから、奉勅命令を戒厳司令官に交附いたします時期につきましては、参謀総長に御委任願いとう存じます」
天皇はそれも御嘉納になった。
だが、奉勅命令の甲附については、参謀本部ではあらかじめ幕僚と打合せずみであったが、手違いが生じて、命令は即刻戒厳司令官に交附されてしまった。杉山はあわてて戒厳司令官に会い、奉勅命令は未だ内示で、本交附は二十八日午前五時の筈だから、その実行を差し控えるようにと注意し、改めて本朝五時に交附したのだった。
2023/02/04
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