~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十一章  写しでない、本物の奉勅令を持ってきた
第十一章 (4-02)
そこへ野中大尉が、軍首脳部との会見を終えて帰って来た。彼は蹶起将校を代表して最後的交渉をしてきたのだ。
誰かが野中を認めて、駈け寄った。
「野中さん、どうでした?」
「一切を委せて帰ることにした」
野中大尉の口を衝いて、真先に出た言葉は、それであった。彼は落着いた態度で応接間へ足を運んだ。
「委せて帰る・・・どうしてです?」
渋川が詰め寄った。
「兵隊が可哀想だから・・・」
野中の声は低かった。
「兵隊が可哀想ですって? それじゃ、全国の農民は可哀想じゃないんですか」
一瞬、野中は虚を衝かれた形で、ぼんやり渋川の顔を見返していたが、やがて、
「そうか・・・オレが悪かった・・・」
呻くように言って傍らの安楽椅子に腰を下ろし、両掌で頭を支えた。
野中は軍事参議官に最後の回答を求めに行ったのだった。そこで彼は説得され、撤退を勧告されたので、蹶起部隊の責任者として一切を真崎大将に一任し、撤退する、と言明してきたのであった。
── それではオレは子供の使いにも劣った訳だ!
野中は頭を抱え、汚れた絨毯を見つめたまま動かなかった。
その野中大尉をじっと見守っていた栗原が、誰にともなくポツリと言った。
「もう止めましょうや」
だがその声は、あまりにも元気なく発せられたので、誰一人注意して耳に留める者もなかった。
「何もかも幕僚ファッショの仕業です。幕僚が悪いんです・・・幕僚をやっつけてしまわなけりゃダメだ!」
渋川が、また怒号した。
それに応じて、そちらからもこちらからも声が飛び、絡まり合い、誰が何を言っているのかさえも分らなくなった。激怒と混乱 ── 混乱が激怒をそそのかし、激怒がまた混乱を倍化させた。
「こうなりゃ、決裂だな・・・戦争するよりほかないだろう・・・戦争だ・・・戦争だ!」
村中は叫びながら部屋を飛び出した。
2023/02/12
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