~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十一章  写しでない、本物の奉勅令を持ってきた
第十一章 (7-01)
新井中尉が井出大佐と戒厳司令部のトラックで歩三の連隊本部に赴くと、連隊の幹部は一室に集まって、今後の処置を協議していた。
机上には、すでにガリ版刷りの文書が配られてあった。
『── 事件勃発以来、各種の手段を講じ説得に努めたれども、彼らは頑固に反抗して之を肯き容れず、ついに奉勅命令にも抗するに至る。今は已むなし、叛徒とす』
文書にはそう書いてあった。
だが、実際には「説得」にあらざる「扇動」をしてきて、糧食薪炭まで送り ── 四名の兵が木炭ガス中毒で死亡した ── 肝心要の「奉勅命令」は用のない残留部隊には下達されたが、蹶起部隊には、どういう訳か下達された様子がない。だのに「今は已むなし、叛徒とす」・・・・
── どうもおかしい?
新井は首をひねったが、しかしそれ以上は詮索しなかった。彼自身も頭の中が混乱していたし、それに、「攻撃開始までに復帰すれば叛徒でない」というので、いかにして下士官、兵を復帰させるかに、現実的な関心が移ったのだ。
連隊幹部の腐心もそこにあった。
新井を同行して来た井出大佐が、その時、突然、
「軍旗を拝ましてくれ」と言い出した。
軍旗は連隊と共に前進して、その部屋の壁際に安置してあった。
井出大佐は軍旗の前に立って、軍帽を小脇に抱え、ポンポンと柏手打って礼拝した。つい昨年末まで、連隊長として奉持した軍旗である。
「軍旗の名を汚さぬようお願いします」
井出大佐は、旧部下一同にそう言葉を残して立ち去った。
ちょっとの間、将校たちの間には重苦しい沈黙がつづいたが、そにうちに天野少佐が突然新井の方を振向いて、
「貴様があんな意気地のないことをするからだ!」と怒鳴りつけた。
新井の戦列離脱を言ったのだ。そのくせ天野少佐は事件勃発当時「青年将校は引っ込んでいては駄目じゃないか」と新井らの肩を叩いて廻った人である。情勢によって、ああ言ったりこう言ったりする。
新井は癪にさわって、
「何が意気地なしですか」
顔色を変えて詰め寄った。
「そうだ、そうだ」と連隊長が仲に入って、慰め顔に言った。「あの時の情勢では、そんな気持ではなかったんだから・・・」
天野少佐は沈黙した。── 数時間後に、天野少佐は連隊に帰って、自室で謎の拳銃自殺を遂げたのだった。何のための自決だったのだろう?
そるとその時、第二大隊長の伊集院少佐が、突然声をふるわせて言い出した。
「この事件で、兵を殺してはならん、歩三の将校の不始末は、われわれ将校団で片付けましょう・・・歩三の将校団で片付けましょう・・・わたくしたちは・・・わたくしらは、最後の一人まで斬り込むんです・・・一番最初に安藤を・・・そして誰でもいい・・・生き残ったら、つぎに野中を殺るんです・・・!」
将校たちは胸をゆすぶられ、感動し、一緒に涙をうかべている者もあった。
だが、歩三の将校の誰が果たして真の「説得」をしただろう? 軍当局の意向はこれこれだと、今まで説明したことがあるだろうか。「どうだ、もういい加減に止めないか」ぐらいなことでは、彼らは全然問題にはしない、軍を引きずろうとする腹でいるからだ。
しかし蹶起部隊の下士官、兵を犠牲にしてはならない ── という見地からすれば、問題は別だ。伊集院少佐のいう通り「この事件で兵を殺してはならない」のである。
ふいに新井が発言した、というよりも思いが口を衝いて飛び出したのだった。
「その前に、もう一度わたしを説得にやらせて下さい・・・・理由は、軍当局はこれまで何ら本当の方針を示していないのです・・・だからこそ、彼らは頑張っているです・・・方針も示さないで、叛徒と決めて撃つことは、あまりにひどすぎます!」
「わかった」と連隊長が言った。「たしかに、もう一度説得すべきだ・・・しかし、誰が説得に行くか、またどうやるかは、こちらで決める」
連隊長は、連隊附中佐をうながして、別室へ入った。説得に行く者の人選をするためであった。
2023/02/16
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