~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十二章  今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ
第十二章 (2-02)
だが、石原大佐は不在だということだったので、昵懇の柴大尉に面会し、石原大佐に連絡方を依頼して帰った。
すると間もなく、戒厳司令部の一参謀少佐が山王ホテルにやって来た。
参謀少佐は、無愛想な面構えで言った。
「石原参謀の返事をお伝えする・・・今となっては、自決するか、脱出するか、二つに一つしかない・・・終りッ!」
「何ッ?」
磯部が眼を吊り上げて、憤った。「そんな返事なら、聞かんでもわかってる!」
だが参謀少佐は、磯部を見向きもしないで帰って行った。
磯部の憤はみんなに伝染し、一同は切歯憤激したが、さてそれではどうする、という良策はなかった。将校たちは、まためいめい坐り込んだ位置で、考え込んだ。兵士達の革命歌につつまれながら、この豪華な応接間には、重苦しい沈黙がつづいた。
暫らくすると、歌声の間を縫って、
「戦車・・・戦車だ!」という叫び声があがった。
軍歌はぱったり止んだ。
安藤が椅子からむっくりと身を起こすと、真先に飛び出した。磯部らもつづいて飛び出した。
見ると鎮圧軍の戦車が一台、溜池の方からぐんぐん近づいて来た。それに向って叛乱軍の兵たちは小銃や機関銃を向けているが、しかし銃には弾薬は装填していない。皇軍相撃を避けるために、お互いに固くいましめてあったのだ。
だが、近づいて来た戦車には、抵抗したら撃つぞ、と言わんばかりに、突き出ている砲身をぐるぐる動かした。
それを見た安藤が、いきなり、
「みんなき殺されろッ!」
鋭い叫び声を発しざま、戦車の向って突進した。
「安藤大尉・・・危いッ!」
叱りつけるような叫び声が、電車通りの向う側から起こった。安藤部隊に最後の説得に来た直属大隊長の伊集院少佐の一行であった。
だが戦車は、その間に帰順勧告のビラをまいただけで、後退した。
安藤はホテルの門内に引き返した。
伊集院少佐は、安藤の後を追った。
二人は庭の中程で、顔を見合わせた。用件は言わなくともわかっている。二人の眼差しからは火花が散った。
「安藤・・・」伊集院少佐は詰め寄った。「兵が可哀想だから、兵だけは帰せ」
安藤の顔には憤が込み上げた。
「わたしは、兵が可哀想だから起ったんです・・・大隊長殿がそんなことを言われると、癪にさわります」
「いや、」兵は帰せ」大隊長はあくまで詰め寄った。「そして安藤、お前は自決するんだ・・・この不始末の責任を負うんだ」
「不始末とは何ですか・・・話があるなら、こんな事態になる前に、なぜ早く話してくれないんです・・・大隊長殿は、なぜこうなるまで放って置かれたんです・・・こんな事態になったのは、あなた方にも責任があります!」
「なるほど、それはイレが悪かった・・・しかし、お前一人を殺しはしない。オレも死ぬ・・・お前が自決はイヤだというなら、オレが殺してやる!」
伊集院少佐は、安藤を殺さなければ、事件は納まらぬから、歩三の将校団の手で殺そうと、連隊幹部将校の前で泣きながら言った人である。そして彼は、実際その気で安藤に迫ったのだ。
2023/02/25
Next