~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十二章  今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ
第十二章 (2-03)
安藤は伊集院少佐の語気から、殺意に似たものを感じ、「おや」といった面持ちで相手をじっと見返した。
二人は睨み合った。
安藤の憔悴した顔は、次第に蒼白になった。と思うと、ふいに地面にペタリと腰を落として、坐り込んだ。
「斬って下さい!」
安藤はさいそくした。
一瞬、少佐はためらった。が、すぐ決心して、軍刀をスラリと引抜いた。
するとその時、安藤の身体が反射的に跳びあがった。と思うと二、三尺後方に退って身構え、軍刀の柄に手をかけた。
「殺されてたまるものか!」
安藤は喚いた。その顔にも殺気が漲っていた。
「斬り合いはいかん・・・待てェ!」
数名の者が二人の間に飛び込んだ。
二人は、それぞれの部下の手で引き離された。
安藤はちょっとの間、部下や仲間の将校たちに取囲まれて呼吸を整えていたが、そのうちに突然、
「おい、オレは自決するぞ!」
叫ぶなり、手が腰の銃をさぐった。
「待てッ」
磯部が背後から抱きついて、安藤の両腕を羽交い絞めにした。
「死ぬのは待て、安藤・・・待て!」
安藤はしきりにふりほどこうとしたが、磯部は放さなかった。
「死なしてくれ!」安藤は喘ぎながら言った。「磯部、死なしてくれ・・・オレは弱い男だ・・・今でないと死ねなくなるから、死なしてくれ・・・オレは負けることが大嫌いだ・・・裁かれることは厭だ・・・幕僚ファッショ共に裁かれる前に、オレは自ら裁くのだ・・死なしてくれ、磯部!」
もがく安藤を取り巻いて、号泣がそちこちから起こった。
伊集院少佐もいつの間にか軍刀を鞘に納めて安藤に近づき、涙を流した。
「オレも死ぬ・・・安藤のような立派な奴を死なせなければならんのが、残念だ!」
鈴木侍従長を拳銃で撃ち倒した堂込曹長が、泣きながら安藤に抱きついた。
「中隊長殿が自決なさるなら、中隊全員お伴をいたしましょう!」
「おい、前島上等兵・・・」安藤は堂込曹長と一緒にすがいついた兵を認めて言った。「お前は、かつて中隊長を叱ってくれたことがあった・・・中隊長殿、いつ蹶起するんです、このままで置いたら、農民は救えません、といってね・・・農民は救えないなあ・・・オレ死んだら、お前達は堂込曹長と水田曹長を助けて、どうしても維新をやり遂げてくれ・・・二人の曹長は立派な人間だ・・・いいか、いいか・・・頼んだぞ!」
「ハイ、きっとやります!」と上等兵は泣きながら肯き、「しかし中隊長殿、死なないで下さい・・・死なないで!」
「堂込曹長に永田曹長」安藤は呼んだ。「君達はオレに最後までついて来てくれた。有難う・・・オレは死ぬが・・・後を頼むぞ!」
すると群がる兵たちが、一斉に泣き叫んだ。
「── 中隊長殿、死なないで下さい!」
「── 中隊長殿、死なないで下さい!」
「安藤、死ぬのは止めろ」磯部は羽交い絞めの腕をゆるめないで言った。「人間はな、自分が死にたいと思っても、神が許さない時は死ねないんだ。自分が死にたくなくても、時期が来たら死ななけりゃならなくなる。こんなに沢山の人がみんな止めているのに、死ねるものか・・・また、これだけ貴様を尊び慕う部下の前で、貴様が死んだら、あとは一体どうなるんだ・・・?」
磯部はじゅんじゅんと諭した。
すると安藤は次第に落着きを取り戻して、
「よし、それでは死ぬのはやめるから・・・放せ」
磯部は安藤をはなした。
安藤はしゃんとした足取りで、応接間に戻って休んだ。
各室では兵隊がそれぞれ集まって、泣きながら中隊長に殉ずる支度をしていた。別な部屋からは、死出を飾るかのように「第六中隊歌」がまき起こる。
磯部らは、一たんホテルの応接室に入ったが、しかしこれ以上安藤部隊に留まっていることは出来なかった。陸相官邸へ集結して、最後の処置をつけなければならない。磯部は、、多分軍事参議官一同が来るだろう、と期待したのだ。
磯部は、居合わせた安藤部隊の下士官、兵と固い握手を交した。
「では、みんな元気で・・・」
「お元気で・・・」
磯部は別れを惜しみながら、引揚げた。
2023/02/26
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