~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十二章  今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ
第十二章 (4-01)
一方、湯河原の牧野元内府襲撃の際に重傷を負ってひとり熱海の陸軍病院に担ぎ込まれた河野寿大尉は、病院長の同情的な治療を受けて経過は良好であったが、新聞やラジオの報道で、ついに事が破れたのを知ると、最後の覚悟を決めたのだった。
河野は事件の平定した翌三月一日、病院長の計らいで特別に面会を許された兄の司に向って蒲団に寝たままで静かに心境を語った。
「御心配かけて申訳ありません。不覚の負傷で、面目次第もありません・・・何もかも滅茶滅茶です」
寿のやつれた顔には、事件の不始末に対する痛苦と腹立たしさが同時に浮かんだ。
「わたしが負傷しなかったら、牧野をやり損じやしませんし、それよりも逆賊になるような過誤を犯させやしません・・・これが何よりも一生の遺憾です・・・勅命に抗するに至っては、万事終りです。色々と軍内部に複雑な事情はあるに相違ありませんが、ことの如何を問わず、勅命に抗し、逆賊となるに及んでは、日本人として大義名分が立ちません・・・こんな結果になろうとは、夢にも考えなかったことです・・・無念この上もなく、死んでも死にきれない思いです・・・兄さん、許して下さい。事、志と違い、いやしくも逆賊となり終わった今、わたし一人、たとえ、その圏外にあったとはいえ、その責は同断です・・・潔くその責を取ります!」
寿は死を決意している ── と兄の司は直感した。だが、何となくそれはピンと来なかった。
陸軍部内には未遂に終わったが三月事件、十月事件の前例がある。クーデターを企図した中堅将校はみな憲兵に附き添われて東京近郊の旅館に連れ込まれ、芸者をあてがわれてドンチャン騒ぎをして、何事もなくケリがついた。せいぜい中央を遂われて、地方の連隊に配属になるのが落ちであった。また近くは血盟団や五・一五事件の前例がある。五・一五では時の首相を完全に殺害したが、首魁に対する刑は十五年であった。
今回のクデターでは、首相は殺していない。岡田首相と思って殺害したのは、実は首相の義弟の松尾伝蔵大佐だった、とラジオや新聞は報じた。一たんは、事件勃発の発表と共に殺害されたとと報道され、そうと信じ込んでいただけに、それは世間をびっくりさせた。
── 一体、岡田首相はどこに隠れていたんだろう?
奇蹟でもあり、何か一杯喰わされたようでもあり、岡田首相のいささか滑稽味を帯びた風貌と共に、それは滑稽感をももたらした。だが、その滑稽感の中には、今回のクーデターには、最後まで突き進まなかった。何やら中途半端な手抜かりを感じさせる。
それは全く手抜かりであった! 完全に殺った筈の岡田首相は生きて居り、射殺したと思った鈴木侍従長は重傷だが経過良好だというし、焼殺したと思った牧野元内府は、女中と共に裏山に難を逃れて生きていた・・・完全なクーデターを企図した寿らの無念のほどは分かるが、果たしてそれは自決して責を取らねばならぬほどのものであろうか・・・完全に首相を殺害した五・一五事件の首謀者は禁固十五年ではないか・・・?!
司の気持には、それがひっかかっていたが、しかし言葉に出しようもなく、黙ったまま、まだ独身で青年々々している弟の顔を、じっと見まもった。
「実は昨夜からまんじりともしないで熟慮しました」寿は言葉をつづけた。「東京との電話連絡を断たれてから、東京の情勢は少しもわからないし、むろん勅命降下の事実も知りません。しかし蹶起部隊がいつの間にか叛乱軍となり、帰順命令が出て事態の収拾を見るという、最悪の結果を知らされた時は、ただ茫然として泣くにも泣けませんでした。ですが、この絶望の中にも、なお一縷の望みは、わたしたち同志が叛徒・・として処断されることは、よもやあるまいということでした。しかしわたしの希望は、甘過ぎました。この最後の頼みの綱も、さっきラジオでの内閣発表で、すべてダメなことを知りました・・・圏外にあったわたしも抗勅者こうちょくしゃとして、東京の連中と同様に位階の返上を命ぜられ、勲等など褫奪ちだつされました・・・陛下の御為めに起ちあがったわたしが、夢にも思わなかった叛徒・・に・・・!」
寿は肩をふるわし、涙を流した。
2023/03/02
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