~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十三章  この事件が落着する前後から、日本はたいへんな面に突入する
第十三章 (2-01)
空がコバルチ色に晴れ渡ったある朝 ── 窓の外で、ザクザクと砂利を踏む多勢の靴音が聞こえた。隊列が発するあの靴音である。
── 何だろう?
新井は伸びあがって、窓からのぞいた。
すると濃い木の影が斜めにのびている塀の向うの砂利道を、肩章も襟章もないおかしな軍服の隊列が、入浴場の方へ引率されて行くのだった。一人々々よく見ると、両手首にはあの冷たい手錠が光っている。免官になった下士官の一群であった。上官の命令を絶対と信じて行動し、ついに叛徒となった人達である。
肩章も襟章もない間の抜けた軍服の隊列は、次から次と入浴場の右手の木立の中に吸い込まれて行く。平素は閉ざされている通用門から、練兵場に新設された公判廷へと引率されて行くのである。
間もなく、元将校の一団が現れた。多くは和服で、背広も二、三混じっている。覆面のために顔は分らないが、大半は後姿の体つきに見覚えがあった。安藤は傷もまったく癒えて、大島の着物にセルの袴をはいていた、栗原も何やら瀟洒な和服姿で、フェルトの草履を穿いている。若い少尉の中には、紺飛白こんがすりに下駄穿の姿も見受けられた。
だが、その中に先刻の下士官同様に肩章をもぎ取った軍服姿が一人だけ混じっているのが、異様に目立った。特別志願将校出身の麦屋清済であった。叛乱将校の全部が正規の陸士出身なのに、彼一人が例外で、もとは教員だったが、途中から現役を志願して軍籍に身を投じ、昨年の秋以来歩三に勤務していたのだ。身体が大きい上に、服装が服装なので、何となく見すぼらしく、ルンペンが一人加わっていっる感じであった。衣類の差し入れを頼まなかったのか、それとも逆賊となった彼を憤って父兄が差し入れをしなかったのか・・・いずれにしろ、彼はここでもまた皮肉な例外であった。
公判は引続いて行われている模様で、将校団や下士官の隊列の公判廷への往復の姿が、毎日のように眺められた。
運動仲間の丸顔の少尉も、現役将校の身分のまま同じ行列に入っていた。彼は今泉義道といい、近歩三の第七中隊に所属していたが、事件勃発の朝、選任の中橋中尉から蹶起を迫られ、直接行動は拒んだが、その命令のまま宮城守備の控兵副官として坂下門の警戒に任じた。中橋中尉の隷下を離れてからは、守備隊司令官の指揮を受け、二十六日午前十一時頃、勤務の交代を命ぜられて帰営したのだが、それでも起訴されたのだった。
「まったく馬鹿らしい!」
と、今泉はしきりに口惜しがっていた。
覚悟の上なら、いまの運命は諦めもつくが、今泉には蹶起の意志は少しもなかったのだ。宮城守備も、もともと勤務を割り当てられていたことで、今泉にとってはまったく馬鹿らしい奇禍であった。新井は、運動の際、この今泉から公判廷の模様を訊いた。
「練兵場は・・・」彼は公判廷をそう呼んだ。「大変な騒ぎですよ・・・叛乱だというので、あの人達ははじめから憤慨しているんですよ」
練兵場の南端に近く、通称海鼠山なまこやまといわれる松林がある。その海鼠山と刑務所との間の空地を、竹矢来で囲み、そこに今回の事件のための臨時の公判廷が建造されてあった。被告人たちは刑務所の臨時の通用門 ── 屍体を搬出する際にだけ使用していた ── を出て、道一つ越えれば、すぐ矢来にぶつかる。
この公判廷は事件直後の三月四日に、緊急勅命で特設されたもので、正式には東京陸軍軍法会議と呼ばれた。一審制の裁判で、しかも非公開 ── 傍聴は許されず、弁護士もつけられず、まったく秘密の暗黒裁判である。通常の軍法会議でさえ、統帥の機密という見地で法の運用がなされたのだから、この特設軍法会議が中央の政策で左右されるのは、当然なことであった。
こんどの叛乱事件は皇道派対統制派の深刻な派閥闘争がその直接的な原因をなしているので、もし公開されるとなると、相沢公判以上の紛争をまき起こす懼れがある。三月事件や十月事件の陰謀はもとより、叛乱事件中の当局の不正や、不首尾や、インチキの一切が明るみに出ることになるのだ。公正な立場からすれば、この事件処理の軍法会議こそ、こうした軍部内の一切の旧悪を刈り取って、真の粛軍を果すべき絶好の機会であった。だが事件後、蹶起将校らの犠牲を踏み台にして指導権を握った統制派幕僚は、この特設軍法会議を逆に利用して、新勢力の権威を確立する絶好の機会に置きかえてしまった。
2023/03/09
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