~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十三章  この事件が落着する前後から、日本はたいへんな面に突入する
第十三章 (2-02)
こうして蹶起将校らの被告人たちは、特設軍法会議の公判廷に往復する姿さえも、世間の眼からは隔離され、遮断されてしまったのだ。五・一五事件や相沢事件の先例にならって、法廷から全国民に呼びかけようとした蹶起将校らの最後の企図は、完全に阻止されてしまった。
蹶起将校らは、公判廷で叛乱と言われて憤慨し、騒いでいるという。天皇を絶対とする急進的な国体観に立つ蹶起将校にとっては、天皇への反抗こそ叛乱であろうが、重臣、軍閥の暗殺は、単なる殺人事件どころか、むしろ、「尊皇討奸」として称揚すべき行為であった。
しかし法廷に立たされた上は、蹶起将校らは軍隊を使用して人間を殺害したその罪は、もとより負うべき覚悟であろう。ただ彼らは、自分達の意志とは反対の「叛乱」という罪名をいきなり押しつけられることに憤慨しているのだ。彼らは義を行ったのであり、最初から叛乱、騒擾を企図した覚えは毛頭なかったからだ。
西南の役も、佐賀の乱も、目的としたのは君側の奸臣の駆逐であった。日本の叛乱には、共通した一定の方向がある。尊皇が一方では義であると同時に、それが権力者排撃に向けられればたちまち叛乱となるのだ。二・二六事件の場合は、重臣殺害後の政策推進や維新の建設工作は、彼らは挙げて一切を軍首脳部の善処に俟つことにした。ただの叛乱ではない所以と特異性はそこにあった。それを北一輝の「日本改造法案」の革命プログラムに結びつける ── 軍首脳部はいまやそれを企図している ── ことは、どこから見ても妥当ではない。
「── 悪い者をってしまえば、それだけで国はよくなる!」
首脳部の栗原は、いつもそれを口癖にしていた。
また栗原は、
「── 建設を考えたら、破壊なんか出来ない!」
そうも放言していた。
いずれも栗原の若さが生んだ暴論である。だがその暴論の背後には、社会的矛盾 ── 農村の疲弊という犠牲の上に立った財閥の繁栄、それと結託した政界、軍閥の腐敗、堕落があった。
青年将校らの若い情熱は、それらの社会的矛盾から眼をそらすことが出来なかった。栗原の言動がややもすればきょうげき激に走るのを危ぶみながらも、つい栗原にリードされて起ったのは、その社旗的矛盾に対する心からの憎悪が根を張っていたからだった。
だが、そこには革命の窮極の目的についての具体的な計画は、何ら存在しなかった。彼らは若さの情熱を駆って君側の奸を断ち、聖断による維新革命の招来を希望しただけで、その他のことは一切白紙で事を起こしたのだ。無計画といえば、これほど無計画で無謀な行動はなかった。彼らは社会的矛盾としての農村の疲弊に深い同情と憤りを抱きながら、事にあたって農民に何らの働きかけもしなかった。対民衆工作は、単に赤坂方面に見物に集まった群衆に対して、街頭演説で精神的支援を訴えただけであった。── かくて維新革命は、完全に失敗に終わったのである。
あとに残された道は、公判闘争ただ一つであるが、それも軍部首脳部の狡猾こうかつな術策で、暗黒裁判となってしまった。
「あのシベリアの金塊事件でも、ここに主計の少佐か大尉が入っていたが、公判廷で何を言っても、全然ダメさ、いくら喚いても問題じゃないよ・・・あれで何年たかなあ・・・」
看守生活三十年という、蟇蛙そっくりな文書係の老看守が、公判の結果を暗示するかのように、そう問わず語りに話して聞かせた。すると、それを実証するニュースが、運動場で新井の耳に入った。
「相沢さんは、死刑だそうですよ・・・可哀想ですね」
そのニュースの伝達者は、満洲から送られて来た若い中尉だった。彼はまだ予審が始まったばかりである。一瞬、新井は立ち停まって、穴のあくほど相手の顔を見返したが、看守の眼をおそれてまた並んで歩いた。
「誰から聞いた・・・予審官かい?」
「そうです」若い中尉は空を見上げながら言った。
「上告しても、ダメですって・・・」
死刑 ── 相沢中佐が死刑だとすると、それでは蹶起将校らはどうなるのだろう?
新井は胸をしめつけられ、池の岸に立ちどまって、薄にごりのした水に浮んでいる自分の顔をじっとみつめた。
2023/03/10
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