~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十三章  この事件が落着する前後から、日本はたいへんな面に突入する
第十三章 (3-03)
新井は検察官が読みあげた「占拠部隊のその位置を撤去すべき命令下達されるや、職分を忘れ、故なく配置の地を離れ、靖国神社に参拝」云々の起訴事実に対して、憤然と法務官に喰ってかかった。
「検察官殿は、客観的原因も認めなければ、自分の精神も認めません・・・精神を認めずに行為だけを見るならば、道で拾ったものを届けるのも、途中で刑事につかまったら、遺失物横領になります・・・検察官は故なく配置の地を離れたといわれますが、自分は故なく離れたのではなく、故あって守地を離れたのであります。自分が事件中靖国神社に参拝したのは、皇軍相撃を避け、円満な収拾を図ろうとする『故』があったのであります・・・高級司令部の幕僚が、皇軍相撃を企図しておると判断したのは、自分の誤りでありますが、それにはそれ相応の原因があります。若しその原因さえなければ、判断の誤りを犯すこともなく、あの間違いもなかった筈であります。原因とは、外でもありません、当局の曖昧な処置であります・・・!」
だが、何と抗弁しても糠に釘だった。事件処理方針は中央で定めてあって、裁判官はただその方針に従って形式的に審理をしているにすぎないのだった。
「新井よ」と相被告の山口が先輩らしい忠告をした。「たとえて見れば、ここにブリキ缶にビスケットがあって、鼠がそれを喰おうとする・・・いいか・・・うまい物が喰いたいからといってブリキ缶を齧っては、自分の歯をいためるのが関の山だ・・・齧ってはならんものは、齧るんじゃない」
その山口は、事件中、小藤大佐を通じて師団長や戒厳司令官を動かし、蹶起部隊の希望する維新実現に対して縦横の活躍をしたのだが、事破れて投獄された今は、何もかも達観しているような風だった。
退屈な獄中にあって、いつも機智と諧謔とで収監者を笑わせ、一種の説得力と押しの強さで看守をやりこめるのも山口であった。
「── 都合の悪いことは、みんなオレがひっぱぶるよ」彼はいつもそんな態度を示していた。
2023/03/11
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