~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十三章  この事件が落着する前後から、日本はたいへんな面に突入する
第十三章 (4-01)
七月に入ると間もなくだった。
ある朝、代々木練兵場に猛烈な銃声がおこった。遭遇戦の演習だな、と思っていると、銃声の合間に一際高い声で、
「天皇陛下、万歳・・・!」
そう叫んだ声が聞こえた。
激しい空砲の銃声の中には、実弾の音がまじった。
相沢中佐の銃殺であった。新井勲と同じ棟の監房に居た大蔵栄一は思わず瞑目合掌した ── 猛烈な空砲の銃声は、ただの演習と思わせるためのトリックであった。
あれほど世間を騒がせた相沢中佐の公判は、事件勃発のために一時中止されたが、事件が納まると秘密裡に審理が進められ、ついに中佐は闇から闇へと葬られてしまったのである。
顔馴染みの看守がぼそぼそ話したところを綜合すると ── その朝、相沢中佐は監房から覆面のまま、看守に手を曳かれて刑場に赴いた。途中、運動場のある広場を横切る時、中佐は片手を看守に曳かれながら、片手で目隠しを取って、あたりを見廻した。
「何だ」と中佐は、いちもと変わらない調子で言った。
「どこかと思ったら、ここはオレがしゅちゅう運動した所か」
看守が目隠しをさせようとすると、
「いや、有難う」
中佐は自分で目隠しの布を下ろして、またすたすたと歩き出した。
「立派な態度でした。慫慂として死なれました・・・これが相沢さんを縛った十字架の破片ですよ」
看守が大蔵に小さな木の破片を、そっと手渡した。
大蔵栄一は、朝鮮の羅南から五月に送られて来ていたのである。彼の監房は、昭和初年に函館戦争の榎本武揚が収監されていたという曰くつきのものだった。
「── ここで、榎本武揚にあやかろうとは、思わなかったな!」
大蔵の罪名は、途中で四回変更された。
最初は「叛乱罪」、次は「叛乱幇助」、三度目は「叛乱予備罪」、そして最後の起訴状では「叛乱者を利す」であった。
念のために陸軍刑法を借りて繙くと、叛乱者を利するために行動した者は、「三年以上の懲役から死刑まで」となっている。叛乱罪と同等である。
「── こりゃ大変なことになったものだな!」
大蔵はつぶやいた。
彼が羅南の連隊で東京の事件を知ったのは、二十七日の朝だった。ちょうど週番司令勤務で連隊に泊まっていたのだ。
すると佐々木という一期下の大尉がやって来て、大蔵にそれを伝えた。
「── とうとうやり居ったか!」
大蔵の顔からは、血の気がひいた。というのは彼は、昨年末東京を引揚げて羅南に帰る際、西田その他と相談して、第一師団渡満前の蹶起は時期尚早、相沢公判闘争一本槍で行く ── ということに方針を定め、青年将校の指導者である菅波大尉を鹿児島に訪れて連絡したりして、任地に帰った。だから、よもや事件が起こるとは思わなかったのだ。
だが、事件はとうとう起こってしまったのだ・・・これをどうするか?
大蔵は週番司令室で、ひとり沈思黙考した末に、鹿児島の菅波大尉あてて電報を打つことにした。
「── グントイワズ、タミトイワズ、ヨッテクルヤカラニタイシテハテッテイテキニセンメツセザルベカラズ」
2023/03/11
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