~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十三章  この事件が落着する前後から、日本はたいへんな面に突入する
第十三章 (4-06)
一目散に家へ帰ると、東京方面から送って来た相沢公判の秘密文書やその他のものを、急いで整理した。だが、整理した物を、どうしようか? もはや身辺を監視されいるかも知れないので、庭先で焼却することも出来ないし、またそんな暇もなかった。
大蔵は秘密文書の束を持って、何ということもなく隣室へ入った。隣室には、妻が病気で寝込んでいた。
大蔵は妻の寝床に近づいた。
「おい、どうも様子がおかしいから、これ頼むぞ」
そう言うなり、蒲団をめくって、妻の白い膝の下へ文書の束を押し込んで、
「貴様、誰か来ても起きるな」
それから大蔵は、急いで中隊へ引き返した。
すると、扉を叩いて大隊長が入って来た。
「済まんが、ちょっと一緒に来てくれ」
そう懇願するように言ったが、どこかよそよそしい顔つきだった。
「どこへ行くんですか」
「そうだな」大隊長はちょっと考えて、「外で待っとるんでね・・・将校集会所の裏門の方へ来てくれ」
「そうですか」
大蔵は、まだ何のために大隊長とそんな所へ行くのかもよく呑み込めないままに、一緒に連れ立って行った。
すると裏門には憲兵が数名屯していたが、大蔵の姿を見ると、たちまち取り巻いて、拘引状を示した。「ちょっと憲兵隊へ来て下さい」
「ああ、そうか」
それで上司の詭計がようやく呑み込めた。
大蔵は、そのまま憲兵隊へ引致され、簡単な取調べを受けた後に、憲兵隊の将校寄宿舎に監禁された。── 大蔵たちのために特別に空けた騎兵隊の将校宿舎には、彼のほか、十名余りの同志が収容されていた。
大蔵たちは、四月末までそこに監禁され、取調べを受けた後、五月に東京陸軍衛戍刑務所に護送されたのだった。
東京へ送致される際、予審官が大蔵に向って言った。
「君は、何で調べられているか、分るか」
「分かりませんな」
大蔵がかぶりを振ると、予審官はちょっと同情的な表情をし、
「もっともだ」と言った。「しかし、まあ、叛乱未遂だな」
叛乱未遂? その前は、叛乱罪で取調べられていたのだが・・・。
「どうして、わたしは叛乱未遂なんですか、何もせんのに?」
「いや、叛乱幇助だ・・・そういう形だ」
「予審官は言い直した。
「叛乱幇助? わたしがいつ幇助しましたか」
「まあ、東京で火事があったとする・・・」と予審官は今度はたとえ話に託して言った。「火事場で、消防の水の代わりにガソリンでも吹っかけようとすれば、それは幇助だけれども・・・羅南からは届かんから、未遂だね」
予審官は、また「未遂」に逆戻りした。そしてその曖昧さをゴマ化すために、半ば真実、半ば慰め顔でつけ足した。
「まあ、なんだね・・・君らは、現在の刑法をいかに悪用しても、最悪の場合は執行猶予だろう・・・普通ならば、まずまず無罪か、不起訴という所だね・・・」
だが、東京で再開された予審では「叛乱予備罪」・・・次に起訴状では「叛乱者を利す」・・・そして大蔵に対する検察官の求刑は「八年」・・・判決は「四年」であった。
2023/03/17
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