~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-01)
電車の中には新しい詰襟つめえりが沢山見られた。方々で入学式があるのか、両親らしい付き添いと連れだった若い学生の姿が何人も見られる。
彼らの様子はなんとなくぎこちなく、その詰襟はきゅうくつそうで、やっと一人歩き出来るようになったくらいの鳥を連想させた。そのうちの何人かは武馬たけまと同じ丸い銀杏いちょうのバッジを襟につけている。
電車の振動にゆられた半ば瞑黙めいもくしながら、達之助たtるのすけは実に満足そうだった。武馬はこんな表情の父を久し振りに見た。
駅毎に新しい学生服が出入りする度、それを一人一人見送りながら達之助はしきりに、「ふむ、ふむ」とうなずく。
鎌田かまたでまた一人、武馬と同じ襟章が乗り込んで奥に入ると、達之助は促すように武馬を見返り、にやりと笑う。が、すぐに、微笑わらい返す武馬をことさらに圧えつけるよう、
「まだ一人前じゃない」
うそぶくようにまた言った。
それは達之助の口癖だ。言われる度、半分くらいはかっともなるが、その時は武馬は黙って笑った。
入学合格の通知電報が来た時も、手をとり合って喜ぶ武馬と母の悠子ゆうこを叱りつけ妙に悠々と電報を読み直し、その癖自ら久し振りに神棚へ燈明とうみょうを上げたりしたが、その後で、
「まだ一人前じゃない」と矢っ張り言った。
あの時は悠子が達之助に向かってあらがうようにして息子を讃めた。
「一年浪人したんだ、半分は当たり前だ」
「達之助は言った。
「お父さんは片輪よ。お前が利口でなかったらきっとひねくれた子に育ててる」
悠子が珍しく言い返すと、
「馬鹿を言え、俺は武馬を信用している。がとにかく目出度い。がまだ一人前じゃない」
達之助はまた言った。
とにかくそれが武馬を育てる彼の方法だったことは間違いない。彼は今まで殆ど父に讃められたことがない。
陰険いんけんに叱られたこともなかった。何をやっていても、達之助は黙ってそれを見てい、かんしんなとことへ来ると叱咤しったした。
武馬が何かをやってのけるとか成功したりしても、一度は感心してそれを認めて見せてもすぐに、「まだまだ」と言った。
中学校の三年に、彼が幅跳はばとびで全国競技大会で記録を破って優勝した時も同じだった。だがその時は武馬が言い返した。最終回の跳躍の時助走にうつった瞬間、武馬はどうやって入り込んだかフィールドの後ろに立っている父の姿を見た。彼のチャンスはこの一回だった。彼の対抗者の記録は彼の二回目のそれより一センチ長い。しかし武馬には自身があった。
父を見たがそのまま走り、力一杯飛んだ。その瞬間、達之助が裂帛れっぱくの気合という奴で、「えいっ」と叫んだ。跳躍の途上の短い一瞬に武馬ははっきりとその声を聞いた。武馬自身より審査員がその声に驚いた。知らぬ者は達之助を悪質の妨害者と見た。
が記録は対抗者を三センチ離した新記録で武馬は優勝を勝ち得た。
しかし彼には不満があった。達之助は彼の優勝を自分の非常識な声援のお蔭にしたが、武馬は短い跳躍の瞬間ながら、その終り近い部分で父の声のために自分の筋肉が縮んだような気がしてならない。本当に、最後の跳躍の前彼には相手をもう五センチは離す自信があったのだ。
達之助は戦前から戦後にかけて武馬が中学校を卒業する年まで、外国航路の貨物船の船長をやっていた。武馬にとっては幼年の頃から一月二月の長い航海の末にたまたま帰って来る父親ではあったが、達之助が彼に見せる親としての表現の強さから、留守ではあってもいつも身近に感じる父だった。
悠子も達之助と比べて尚口数が少なかったが、彼女が達之助の留守中に見せる態度は、本質的には父のそれと違ってもいはしなかった。それは結局達之助が彼女に知らぬ間にしこんだことだ。
一人っ子で、自分ほど甘やかされずに育った人間は先ずいるまい、と武馬は自身でも思う。
小学校にもまだ上がらぬ幼年の頃に、父と母と三人で連れだって町を歩きながら、何かで武馬が遅れ追いつこうと駈け出して待ち受ける両親の眼の前で転んだような時、何処どこかを打つかすりむくかして、腹這いのまま両親を見上げて泣きそうになる彼を、「泣くな」と言ったまま達之助は黙って見守るだけだった。
血の流れた傷に驚いて駆け付けようとする母を押さえて止める父を武馬は子供心にどれだけ憎いと思ったことがあっただろうか。
やがて武馬は決して泣かない子になった。どんな時、どんなに転び、どんな怪我けがをしても歯を食いしばり黙ってむっくり起き上がる子供に育った。
悠子はそんな彼を黙って手当してくれたし、達之助は短く「良し」とだけうなずくのだった。
2022/04/02
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