~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-02)
小学校六年の夏、丁度達之助がデンマークから帰っていた時、達之助の使いに出された途中で武馬は中学生の不良の四人組につかまって殴られ、応戦して殴り返され袋叩きにされた。喧嘩に際しての獰猛どうもうなる反撃精神も達之助が教え込んだものの一つだった。
挙句あげくに溝に突き落とされ、落ちながら身をかばったはずみに腕をついて彼は左の手首を折った。皮膚の下から飛び出しかかった骨を見て、折れたことは自分でもよくわかった。
痛みはすさまじかった。が、武馬はそれを必死に我慢し、父に言いつかっただけの使いをすましに行った。使い先の主人が顔を見て驚き医者へ連れて行こうとするのを断り、顔だけ拭かせてもらって帰った。勿論もちろん、折れた手はかくした。
帰って来た武馬を見て悠子が驚き、次いでその手首を見て叫び声を上げた時、
「手が折れた」
とだけ彼は言った。
いきさつを聞きながら達之助は悠子以上にあわて、
「馬鹿な奴だ、こういう時はそのまま帰って来るのだ。放っておいて片輪になったらどうする!」
怒鳴どなるるように叱った。
達之助に叱られ、武馬は急に声を上げて泣き出した。こうやって帰って来た末に叱られたのが彼には矢鱈やたら口惜くやしかった。泣きわめいて、やけになって飛び出そうとする武馬を悠子が抱きとめ、突っ立っている達之助にこの時だけは叱るように車を呼ばせにやった。
治療を受ける間中、達之助は武馬の右手を握ったまま、ひとことも口をきかずに立ち通していた。
顔と頭に絆創膏ばんそうこうを張られ、添木を当て繃帯ほうたいで右手を釣って帰った武馬が床で睡ると、それまで唇をこまかく震わしていた達之助はステッキを握ったまま家を出て行った。
町を探し、武馬を傷つけた四人の内、頭目とその次の二人を見つけてとらえると帯びにステッキをさし、片手づつで二人の襟首をつかまえたまま、少年の家までついて行った。
ふだつきの頭目の少年は町の博奕打ばくちうちのせがれだった。達之助は家の玄関でまだ二人の襟首をつかんだままその親を呼んだ。
言う通りに動かず、伜を手から離そうとして近づいた子分を蹴倒けたおした。青ざめた子分に呼び出された親父の前で、二人を敷き据えたまま、
「子供の悪戯いたずらがすぎて、他人に大きな怪我をさせるようでは困る。親のあんたが言い聞かして、きかないなら折檻せっかんなりしないと、他の多勢が迷惑する。お前さんの手でこの小僧の頬っ面を張り飛ばしてくれ」
「なにを言いやがる。餓鬼がきの喧嘩を親が出ようってのか」
博奕打ちは酒を飲んでいた。
「そうじゃない。親が出たいが、みっともないのがわかっているから、同じ親のお前さんにこうやって頼むんだ」
「その喧嘩を親同士で買ってやろうじゃねえか」
周りをうながすように見て相手は言った。
「この小僧の折檻は明日でもいい。お前さんは酒を飲んでいる。それとも、本気でそう言うのかね」
「本気ならどうした、いいからやっちまえ」
動きかかる子分に博奕打ちが言った瞬間、
「馬鹿ものっ!」
つかんでいた襟首を離したその手が、次の瞬間帯にさしたステッキを抜いて、真向に式台に突っ立った男の額を殴りつけた。返すその杖が狭い玄関の中で、居合のように真横の男の首をしたたか払った。ぎゃっというような悲鳴で二人の男が玄関に転げ落ちて気を失った。
達之助は玄関先へ飛び出し、ステッキを下げて構えると、
「来い、手首の代わりに貴様ら全部の首の骨を折ってやる」
飛び出した身内の一人が短刀を抜いた時、達之助は鼻で嘲笑わらった。突っ込んだ男は刃がふところにとどく前に、達之助の黒檀こくたんのステッキで頬を張り飛ばされ、前歯を欠いて横にすっ飛んだ。男の落とした短刀を達之助は、にやにや笑いながらステッキの先で後に立った仲間の方へ飛ばしてやった。
「次っ!」
の声に男たちは後退した。
威嚇いかくするように片手でステッキを振って見せながら、
「貴様らのような町の屑をみんな片輪にしてしまっても、警察からは逆に表彰が出るわ」
言ってくるりと後を向き達之助は引き返した。
達之助はそのまま知らぬ顔で家に帰って寝た。が、うわさはたちまち町で評判になり、悠子は外で話を聞かされ驚いて家へ帰った。
達之助はにやにや笑い、
「武馬には言うなよ」
とだけ言った。
博徒ばくとたちは仕返しをといきまいているという噂があったが、警察の署長が中に入って手を打った。その席でも、達之助はずかり上席に坐ったまま、やって来る頭に繃帯を巻いた男たちを鼻の先で笑ったような顔をしていた。
以来近所で達之助のステッキは改めて有名になった。
2022/04/03
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