~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-03)
博徒たちは運が悪かった。達之助には狭い玄関で見せたように咄嗟とっさ居合いあいの術がある。がなにより、そのステッキは達之助の分身のようなものだった。
外出の時、ステッキを手にしていない父を武馬は見たことがない。腕の力を自慢にし、絶えずその鍛錬たんれんに重い黒檀の杖を片掌かたてで自在に振り廻しながら歩く。
武馬が幼な心に父に畏敬けいいのようなものを感じることがあったとしてら、それは達之助が黒くたくましいその杖を軽々と飛ばして、眼の前をすぎる蜻蛉とんぼや蝶を瞬間正確に叩き落として見せるのを目にする時だったかも知れない。
腕力の保持に気を配った達之助は、陸から船へ乗る時健康をこわして船を去る時まで絶対にタラップを使わなかった。必ず船首バウからロープを揚げさせ、それにぶらさがって手だけを使って十メートルを越す甲板かんぱんまでよじ昇るのだ。
暇な警備員ウォッチがいると彼はそのタイムを時計で計らせたりした。若い船員でも容易に出来ぬその離れわざは彼がいく何処の港でも名物となった。
滅多めったになかったが船の中で腕力沙汰わんりょくざたや、港で船を降りた後の喧嘩は船長の彼が出ると大抵簡単に片がついた。ハンブルグで、酔って無礼な三十貫近いイギリス船員を片掌で引き廻して十メートル近く振り飛ばしたのは、戦前船員仲間では大袈裟おおげさでなく国際的に有名な武勇伝でもあった。
同じ体質を受け継いでか武馬も力は強い。柄も達之助以上に大きい。しかし、達之助が二度目に体をこわして船を下りた後やっていたパイロットをも引退し完全に陸に上がってしまった二年前までは五十を越した父親に腕力では勝てなかった。
だが達之助は今日になるまで、自分の力について自信がある。大人だてらに自分から腕力を振るうなどということは決してなかったが、何かの折には家族の前でも悠々とその腕をふるい必ず勝った。
例えば達之助には長年の外国航路乗船で得た経験からか、公衆道徳に関しては徹底した潔癖感がある。婦人、老人、子供の優先、エレベーターの中での脱帽、禁煙等と、悠子や武馬には勿論、見知らぬ人間に誰彼なく注意を与え、きかないと力づくでもそれをさせてしまう。悠子も武馬も、昔はその度に身を小さくしたが、今ではそれに馴れて黙って眼をつむるだけだ。
映画館や車内で、達之助から注意を受けた与太者やチンピラが、年配と見て逆におどして来ると、達之助は逆に誘うようににこにこして見せ、図に乗る相手をいきなり叩きのめした。
流石さすが 、二度目の病気以来、自ら粛して、或いは幸いそうした機会がなくなって、武馬はそうしたことを見ることなしに来ている。若い頃の無理がそろそろ出てか、達之助は医者から心臓の注意を受けていた。

武馬の東大の入学式の参観に神戸から昨夜上京して来、疲れたとは言いながら達之助は上機嫌だった。相変わらず例のステッキだけはかかえながら、半ば閉じた眼を時々見開いて満足そうに周りを見る。
えてしてこんな機嫌の時、達之助は何かと事を起した。武馬はふとそう思ったが、場合が場合だけに別の胸で安心はしていた。
大森で人が混んだ。孫らしい女の子を連れた老人のために武馬は席をゆずった。父親のお蔭でついた習慣である。達之助は当たり前な顔をしてそれを見ている。
と、前の扉から入って電車の半ばに進んで来た別の老人を見ると彼も立ち上がってその老人を案内して坐らせる。
彼等親子の行為に坐っていた他の連中が照れくさそうだった。達之助は知らん顔をして外を見ている。二人にならってかななめ後の席から背広を着た青年が立って誰かに席を譲っていた。
大井町でまた車が混み合った。
二人は押されて中側に入った。また老人が乗って来た。先刻さっき二人が席を譲った以上の年輩だ。夫婦して田舎から出て来たらしい様子が恰好から知れる。年寄り夫婦は混雑と揺れる電車におびえたように身を支える場所を捜そうとするが、かがんだ腰にり皮に手がとどかない。
2022/04/03
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