~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-05)
「おい謙、何処へいくんだよ」
武馬が電車を下りた時、戸口の外で待っている客たちの後から誰かが男たちに声をかけた。
男たちが振り返った。三人の男が混雑から離れて彼らに近づいた。彼らの一人はなぶるような薄笑いで武馬を振り返った。
彼らは武馬と達之助を囲むようにして待たしたまま思いがけなくいき合った仲間らしい男たちに小声で何かを言った。
話を聞き三人の内の一人が肩をゆすり鼻で達之助と武馬を嘲笑わらった。
「なんだ、学生に親父か」
「かまうこたねえさ」
「やるだけのことあやってやれよ。俺達もついでに見てやるぜ」
のぼりとくだりが前後して出てホームはいていた。彼らは二人を囲むようにして出口の階段とは逆の出町の方角のホームとの隅へ歩いて行った。上着の一番下のボタンを外す武馬を後から一人が小突こづいた。
達之助は少しばかり肩を張って、ゆっくりと一歩一歩大股に彼らにはさまって歩いていた。
父のこんな後姿には幾度も見覚えがある。武馬は落着いた。それに父のこうした事件を息子として彼が手を貸すのは生まれて初めてのことだ。四人までは達之助一人に任しておけたが、七人となると厭でも出ない訳にはいかない。流石さすが達之助はいちものように武馬へお前は向こうへ行っていろとは言わなかった。これで、少なくとも今日だけは達之助に、お前はまだ半人前だ、とは言われずにすむ訳である。
向いのホームを掃除している駅員がぼんやりとこっちを眺めていた。
彼らは立ち止った。
「おい親父、どうしてくれるんだよ。人前でいい恥をかかせやがって」
達之助は両掌りょうてで前へステッキをついたまま真ん中に突っ立っていた。
「なんとか言えよ」
「ふむ」
と達之助は笑った。
「君らは少しも恥をかかん。君らは良いことをした。これからは言われずに自分でああしたまえ」
「な、なにを言いやがる!」
言われて頭へ来た相手は達之助の胸倉をつかんだ。
「どうするね」
「こ、このっ!」
相手が掴んだ襟を引いて廻そうとした時、
「馬鹿ものっ!」
前で握っていたステッキの固い握りが真下から男のあごを突き上げた。男は仰向あおむけから一転してホームの石の上に転がった。
「やっちまえ!」
の声の前に武馬が右横の二人へ体当たりを食らわせ、返る反動で左の一人の股の間を力任せにまた蹴上げた。
それと同じ瞬間、
「た、はっ!」
と言う気合で達之助のステッキが残る三人の首筋を叩きつけた。返す一閃いっせんで残りの一人を打った時、相手が勘よく首を縮めた。ステッキは流れて横の駅名を記した看板の柱を打った。あっと言うはずみでステッキが手から離れた。相手も馴れているから瞬間のそのすきに飛び込むように達之助の腰へしがみつく。
男の腰のベルトを握ってしがみついた相手の体を両掌で足から逆に吊るし上げると、そのままふり廻し網を打つように放り出した。流石に腰がよろけた。その隙に起き上がった一人が飛びかかった。達之助の腰が崩れ二人は重なったままホームに倒れた。
2022/04/03
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