~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-115)
合宿所はすでに大半のメンバーがそろっていた。
武馬たちが着くと待っていた仲間が歓迎の乱暴な言葉を投げる。
竹島キャプテンは一人一人を確かめるように見ながら、
「みんな元気そうだな」
満足そうに言った。
改めて部屋の灯の下で見るとみんな夏中遊んだか働いたか、とにかく肌の色が夏前とはすっかり違って見える。
「今そこの道ですごいシャンに会ったぜ」
着いたばかりの内の一人が言うと、
「暗いのにどうしてわかる」
「夜目、遠目」
「馬鹿言えわかるさ」
「匂いでか」
「だめだめ、何にしても明日からギュウだよ」
「キャプテン、一日合宿を延ばしましょう」
「鼻の下も延ばしましょうか」
「大丈夫、合宿中でもチャンスはあるよ。お前なんざまともにしてるより、泥だらけにしてた方がましに見えるてのを知らねえな」
「それはそうと、俺たちの飯は」
森が言うと、
「あい変わらずお前はよく食うなあ。少しは色気はないのかい」
「知らねえなこの俺を」
浪花節なにわぶしの中でもお前の親戚なしんせきはもてなかったぜ」
隅のテーブルで麻雀マージャンのパイをき混ぜながら誰かがやり返した。
確かに建物の間には明日から始まる合宿という一種の極限状態への期待と興奮と少しばかりの不安を混ぜた独特の雰囲気ふんいきがあった。
後着したメンバーに食事が出され、武馬も森と並んで食卓に向かった。山の大気のせいか、先刻握り飯を食べたのにどんぶり一杯の飯をまたたく間に平らげた。
代わりを自分でつぎながら、森が武馬に、
「お代わりするかい」
頷くと、
「俺だけじゃないじゃねえか、よく食うのは」
ついで渡しながら、
「やっぱり合宿の飯は握りよりも旨いな」
自分で言って笑った。
しかし武馬は森を見ている限り、自分が彼の話を聞きながら食べたあの握り飯の味をきっと忘れないだろうと思った。
食後庭に出て散歩し、さっき言われたように夜空に富士山を捜したが矢張りよくわからない。
戻った大広間では相変わらず麻雀マージャン将棋しょうぎがつづいている。
暫くして、
「おうい明日は起床六時だぞ。そろそろ寝ろよ」
主将の声にみんなはぞろぞろ立ち上がる。それでもまだ隅で、「もう一戦」と、将棋盤を離れぬ組もある。
武馬はみんなと一緒に部屋に戻った。とうに床についている者もある。大抵が合宿初参加の一年生だ。それでもまだ眼がさえて睡れないのかみんなが入って来る物音にある者は照れたように起き上がったりしている。
灯が消されて武馬は床の中で眼をつむった。矢張りすぐには睡れそうもななかった。
睡れぬままに一時間ほど過ぎ、武馬は次第にいらいらして来る。同じよう睡れないのか周りや隣の部屋で小さいしわぶきが聞え、誰かが煙草を吸いにマッチをする。
「禁煙」
誰かが言うと、
「合宿前」
その男が言い返した。
暫くし、ものすごい歯ぎしりが何処どこ かで始まる。
「誰だい」
「うるせえな、眼がさめたぜ」
「森だよ」
「合宿前から張り切ってやがる」
「おい、おい」
誰かが牽制けんせいしてゆすると、音は却って高くなり、やがて急に音が消え、
「誰だ、うるせえな歯ぎしりしやがって」
森の寝ぼけた怒鳴り声が聞えた。
「なに言ってやがるこいつ! 自分で自分の ──」
それにはかまわず、
「静かにしろよ ──」
言うだけ言うと森はそのまま寝ついたらしい、歯ぎしりだけは消えている。
みんあがくすくす、仕舞には首を上げて笑い出した。
「どうしたんだ」
笑い声に気づいて眼をさましたか、奥の部屋で竹島キャプテンの声がし、みんなは黙った。
笑ったせいでかえって気が静まったか、やがて武馬は引き込まれるように睡りに落ちた。
睡りながら見た夢の中で彼は一人でボールをっていた。眼の前に富士山が見えた。ボールを抱いて走っていくと、達之助が、母の悠子が、和久が、超人先生が、そして香世が、もう一人捜して振り返ると明子が居た。
声をかけようとするとそれは何故か杉に変わり、杉はユニホームを着てボールを投げている。
「直ったのか?」
武馬が訊ねると、
「直った」
と彼は言い、
「ほら」
遠くの富士山に向かって力一杯ボールを投げた。そのボールが白く一点になるまできり無く遠くへ飛んでいく。杉は武馬に向かい。それがまたそのまま明子の微笑に変わった。武馬がそれに近づこうとして前へ出ると逆に明子はそのまま段々後へ遠去かる。武馬はあわててそれを追おうとした。誰かが大声でその武馬を呼び返した。その声が竹島主将だと気づいた時に眼がさめた。
「起床! 起床!」
キャプテンとマネージャーの梅田が怒鳴っていた。
2022/06/15
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