~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-118)
夕食後の森は武馬の断るのも聞かず先を焼いた針で足のまめの処置を要領よくやってくれる。未だに武馬に関しては一人合点しているきらいはあるが、来る時の列車の中での会話と言い武馬はこの男に感謝と同時に今段々親しいものを感じざるを得なかった。
その後、下駄げたをつっかけて辺りの林の中を散歩しながら森は一人で胸を張って大声に寮歌を歌って歩く。
── 行途ゆくてを拒むものあらば
斬りて捨つるに何かある
破邪のつるぎを抜き持ちて
へさきに立ちて我よべば ──
面倒臭い文句をよく知っている。なかなかいい声だ。第一歌っている当人が気持良さそうだ。先刻キャンパーの女の子と口を利いていた森とは大分趣が違う。
一つ歌が終わると、
「寮歌って奴はこういう所で歌わんと気分が出ねえな。君も唄えよ」
言い訳のように言ってまたやり出す。
暗闇の中だが道で向うから誰かが来ても一向に止めない。武馬の方が気がひけた。
雑木林を出た辺りでまた男連れにすれ違った。行き過ぎてから、
「うるせえぞ、この音痴おんち
小馬鹿にしたような声がかかった。
「な、なにお ──」
言いかけて声がつまり咳をしてから、
「与太ものだなここら辺りの」
「そんな奴が居るのかい」
「いるさ。土地にも。東京からだって随分入り込んでいる。夏の盛りなんか全然風紀ふうきは悪いそうだぜ」
止んだ森の歌声に対し、尚馬鹿にするような男たちの下品な流行歌が聞こえよがしに風に乗って聞えて来た。
「畜生」
「止せ止せ」
「ちぇっ。しかし与太者との喧嘩なら俺は君が居るから安心してるよ」
森は半分冗談に、半分はそう言って自分を納めるように言った。
2022/06/16
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