~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-119)
合宿の日数が重なると段々へばるものが出て来る。朝夕の寝起きに思いがけない筋肉が痛む。最初はそれが心持良くもあったが段々誰もがを上げるようになって来た。こんながたがたの体でグラウンドで駈けられるかと思うがそれでも一旦練習が始まると半分は気合という奴でかともかくも体が動いた。
それでも初参加の一年生組から段々へばる人間が出て来る。中では武馬は元気な方だった。森の手当が効いてか足のまめもなんとかひどくならずにいる。グラウンドのダッシュもベテランの上級生とそうひけはとらずにすんだ。
「君はタフだなあ」
へばり込んだ仲間の一年生がうらやましそうに言う。
五日目になるとこれがとうげか、苦しいなりに体がなれて来る。へばった人間は底をついて、おう悲鳴も上げなかった。
合宿なりの調子が出かかって来たのを見計らって武馬は森に誘われるまま五日目の晩町へ散歩に出た。今までは一時間でも多く寝ころんで休養をとることにしていたが、森に町の方に易くて旨いぎょうざ屋はあると聞いて余分のエネルギーを貯えに出かけた。
森の言った通り、店は安くてなかなか旨い。色んな連中でたて込んでいる。森が言ったように与太者風の若い男も何人か目についた。
「こいつを食っときゃ明日は倍も走れるぜ」
森は言いながら三皿平らげる。武馬もそれにつづいた。
店を出、町を抜けて合宿所に向かって歩いた。湖水や富士山の眺めと違ってひどく俗悪な町だ。日本中のどこの観光地にもあるような土産みやげもの屋と遊技場が並んでいる。東京に近いせいか東京の盛り場と同じ風俗がそこここに見られる。
町のはずれに来た時、道端にとめられた派手なオープンカーの周りに男と女三、四人ずつのグループが何か話し合っていた。東京のどこにでも見られるある種の若い連中だ。男たちはみんな自動車の上に坐ったり立ったりしながら何か言っては愉快そうにげらげら笑っている。
武馬と森がそれを眺めながら通り過ぎようとした時、
「おまわりさんを呼ぶわよ」
甲高い女の声がした。その声で二人はもう一度彼らを振り返った。
「── おいポリを呼ぶってよう」
「呼んでみな。ここらに気の利いたお巡りなんかいやしねえよ」
男たちはまた大声で笑う。
かぎを返して頂だい」
彼女たちの中の一人が背後に立ち止った武馬たちを意識して強い口調くちょうで言った。
「自分が落としたんじゃねえか。返してやるよ、だから一緒につい合えよ。運転は俺たちにまかしときな。月夜のドライヴは乙だぜ」
「いやよ誰か。返してよ。泥棒」
「あんなことを言ってやがる。それなら本当にそうするぜ」
男の一人は持っていたキイでエンジンをかけた。
「おい、いこうよ」
男の一人が飛び下りて抱きつくようにして女の一人の腕をとった。
「いや!」
女が悲鳴をあげて飛びすさると、
「ちぇっ、それじゃ勝手にしろ、手前らだけが女じゃめえんだ」
「車を返して」
「返すよ明日。ここにちゃんと置いとくから」
男たちは彼女たちの前でじらすように車をいったり来りさせる。
2022/06/17
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