~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-122)
町を通り過ぎる時、歩いていた若い男たちが車に向かって何かひやかした。昨夜の連中かどうかは知らないいが、武馬も森もますます身を小さくしながら、矢鱈やたらに周囲の景色ばかりを気にしだした。
高原に出、間近に富士の山稜を仰ぎながら車は乱暴なくらいのスピードで走る。眼の前に変わっていく風景は文句なく美しかった。特に。、夕陽を浴びて裾野すそのから暮れかかる富士山は朝と違った風格がある。河口湖を過ぎ、西の湖にかかるころ空の残照も消えて辺りに夕闇が拡がった。
「本栖までは無理だわ。ドライブは止めて私のうちに寄ってらっしゃい」
「でも」
「大丈夫、別荘番に婆やだけ、うるさい人は誰も居ない」
「私たちもヒロミの別荘で合宿してるのよ」
「合宿? なんの」
「さあ、なんでしょうか」
とぼけて見せ、またみんなで声をたてて笑う。
車はたちまち方向を変えて走り出した。
「そ、その、僕らの名前を言ったけどあなたたちの名前をよく知らないんで」
言った武馬に、
「だからヒロミに、ママ子に、ヨウ子に、リツ子よ。
「いえもっとちゃんとした名前を」
笑い声をたてながら改めて名乗った彼女たちの内の、水島広美みすしまひろみなる、当の車を運転しているグルーのリーダー格の別荘へとうとう二人は半ば強引に連れていかれた。
車廻しを廻って乗りつけた彼女たちの合宿所なる別荘の、玄関をくぐって二人は驚いた。外目にはただ大きなコテジ風の建物と見えたが、その内側の贅沢さはとてもただの山荘などといったものではない。古めかしく重厚な家具や壁にかけられた見事な浮世絵のコレクション、或いは暖炉だんろの上の数多くの見事な古い猟銃と、豪華な内にも落着いた素晴らしいすまいだ。その家の中で何が不釣合いといって、この勇ましいの彼女たちだけが全くつじつまが合っていない感じだった。
武馬も森も暫く毒気を抜かれたように辺りを見廻していた。
「これ、本当に君の家?」
「そうよ」
「なにをきょろきょろしてるのよ、お酒飲みたけりゃここにあったよ」
開いた作りつけの黒檀こくたんの戸棚の内側にこれまた贅沢ぜいたくな洋酒がずらりと並んで見えた。
「どれでもどうぞ。ついでに私たちにマーティニ作って頂だい」
「い、いや、僕らは合宿中だから禁酒なんで」
森が口惜くやしそうに舌なめずりして言う。それに言われても二人ともマーティニなんぞというカクテルの処方を知る訳がない。
「気がかないわねえ、他に誰も見ちゃいなくてよ。少し飲んで騒ぎましょうよ」
「私が作るわ。お二人には何か甘くて冷たいものでもね」
からかうように他の一人が言うと、手際よくシェーカーをふり出す。二人はただあれよあれよと彼女たちを眺めていた。他の一人が何処かでスウィッチを入れ、部屋にムード音楽が流れ始めた。
眼の前に置かれたグラスを手にとって飲んだが、言った通り甘く冷たく口あたりの好い中味にはどうも少しばかりアルコールが入っているような気がする。
「月が出たわ」
声につられて覗くと、ヴェランダに開かれた窓から月に輝いた河口湖の水が見える。その上を渡って来る夜風がはだれた黒い縞になって映り、素晴らしい眺めだ。
「すげえとこに住んでやがんな」
森が思わず溜息をついた。
「どう。私たちの合宿所気に入って。気に入ったら居つづけてもよくってよ。浦島太郎みたいに帰らなけりゃいいわ。あんなとこ」
広美が言う。
彼女たちは二人の眼の前でいかにも強そうなカクテルをたちまち重ねて空けた。その内に、
「踊りましょうよ」
「い、いや僕らは」
躊躇ちゅうちょする二人を尻目に、他の二人が組み合って踊り出す。
その時つまみものを入れた銀盆を持って品のいい婆やが部屋に入って来た。部屋の中を見渡し、あきらめたような表情で盆を置く。置きながら武馬たちを一瞬胡乱そうな眼つきで眺めた。二人は慌てて立ち上がっておじぎをした。
「お邪魔します」
「夜遅くうかがってすみません」
「あら、婆やにそんなこと言わなくていいのよ」
広美は言ったが、婆やは改めて二人に向かって安心したような微笑を返して立ち去った。
2022/06/21
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