~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-124)
“一体どんなともりでいるんだろう”
が、首に腕を廻した相手はアルコールのせいかどうか、薄く眼を開いただけですっかりこの雰囲気に酔っているように見える。
その内、カクテルのグラスを手にしたまま残りの二人の顔が並んでテラスを覗いた。武馬は慌てたが広美はそれを見返して平気でいる。
「つまんないわ、私たち。どこかへ出かけて来るからキイかして」
気分をこわされたかのように不満そうな鼻声をたてると、広美はショーツのポケットからキイを出して放り投げた。
「あ、それ。ぼ、ぼくら帰る時送ってもらうって」
「いいのよ、そんなこと」
ゆすぶるようにもう一度体を引きつけられ、彼女の腕の中で武馬は思わずよろめいた。
テラスの下でライトが廻り、車が出て行く音がする。武馬はなんだか心細くなった。と思う間、部屋の灯が消えた。大方、向うにいるルツ子の仕業しわざだ。緊張して固くなったみたいな森のしわびきが聞えて来る。
「おうい、森さん ──」
小声でよびかかったが、
「しっ」
たちまち唇を圧えられた。
明るかったテラスが急に薄暗くなる。見上げると湖の上で月が雲にかげった。
首に廻った腕に力が入り頬っぺたがますますくっついた。逆にその分だけ武馬は体の力を抜いた。
「ん ──」
なにかをせかすように相手が鼻声で言う。
「い、いや、ぼ、ぼくは ──」
訳のわからぬ声が出、なんとかその腕をとこうとあせった。
唐変木とうへんぼく
広美が言った。
「いや、しかし ──」
「ふふん」
鼻で笑うとほんの僅か腕をゆるめて、
「合宿いつまで」
武馬を外すように、実際は引き留めるように訊く。
「あと、四日間」
「お家は」
「下宿が、東京です」」
「また向うで会えるわね」
「私、おたくの大学の学生のお友だちってあなたが始めてよ。あんた気に入ったわ」
言った後で武馬の頬をつつくとやっとその腕をいた。
今までのダンスを忘れたようにけろっとした顔で部屋の戻り、隅のスタンドのスウィッチをつける。テラスの逆の隅で踊っている姿が見えた。ついた灯に、二人もテラス伝いにこちらへ帰って来る。
広美はまたカクテルを作り直しグラスに注ぐと黙って武馬にさし出す。断り切れないような気がし、受けとって口をつけたふりをしてそのまま掌に持った。そうしてた方がまた踊りに誘われずにすみそうだ。
灯の下に戻って来、森はなんでもなさそうに武馬に向かって無理ににやにやして見せたが、そのくせ額が一杯の汗だった。その右の頬っぺにたった今つけられたらしいルージュの跡がある。
武馬に見返された森は急に半分照れたみたいに無理にせきをしてみせる。相手のリツ子は広美と同じ平気な顔で新しいグラスを取り直した。
武馬と森はただぼんやり二人で顔を見合わせていた。
部屋は相変わらず薄暗い。武馬は確かめるように自分の股をtyねって見た。先刻広美が言っていた浦島太郎ではないが、自分たちが乙姫おとひめならぬ、何か女の恰好かっこうをした妖怪ようかいにでも連れ込まれた感がしないでもない。
「森さん、とにかく、もうそろそろ帰りましょう」
「うん、ああ、そうだな」
残念そうに言ったがどうやら森も浮足立っている。
「あら駄目よ。第一、ママ子たちが乗ってって車がありゃしないわ」
「ええ、冗談じゃないよ。もいうすぐ門限なんだ」
「かまわないじゃないの。折角来たのにもう少しゆっくりしてらっしゃいな」
他人ごとに簡単に彼女たちは言った。
2022/06/23
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