~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-125)
言われた通り車がないのでは仕方がない。確かに先刻ママ子と呼ばれた一人が広美からキイを受け取って出て行ったしまった。
慌てる二人を、彼女たちは酔いが廻ってかけらけら笑って見ているだけだ。
「約束が違うじゃないか、無責任だぜ」
「御免なさい。でもママ子が帰って来なけりゃどうにもならないわ」
「バスは?」
「すぐあるかしらん。もう終りじゃない」
「タクシーは?」
「すぐ来るかしら。来るとしても富士吉田ふじよしだ からよ」
「とにかくそれだ。電話は」
叫んで武馬と森は部屋を飛び出した。
丁度電話の前に先刻の婆やが片づけものをしている。タクシーの番号を訊ねてかけた。生憎あいにく車が出払って半時間ぐらいもしないとやって来ないという。どうにもならず、なqんとか手はないかと婆やに相談して見た。昨夜からの事情を説明しながら、どうにも婆やに八つ当たりすることになる。
婆やはすっかり恐縮して、
「本当に御迷惑をおかけいたします。おいでになった時お見かけして、いつもお見えになるお客さまたちとは違っていらっしゃると思いましたが。とにかくそれでは、お隣の別荘に事情を話して車が空いていたら御無理願うようにお電話して見ましょう」
「助かります!」
婆やは何故かひどく二人に対して好意的だった。大方二人の唐変木の野暮天やぼてんなところがその原因らしい。
婆やが電話して、幸い先方の好意で運転手が空いていた車を廻してくれることになった。
「どうしたあ?」
二階から広美の声がかかる。
「どうしたもないよ」
森は婆やの前で精一杯ふてくれて見せたが、彼も武馬も、あんな具合にダンスしてたんだから余り大きな顔も出来ない。それでも婆やは小声で、
「お宅さまたちのような真面目な学生さまがうちのお嬢さまたちをご覧になればどうお思いになるかも知れませんが、全く私たちはただもう驚き入るばかりでございますよ。けれどあれでお嬢さま方も、お気持ちはそれはまっすぐでいらっしゃるので、本当にどうかお気を悪くなさらずにこれからもどうぞ」
丁寧に頭を下げられ逆に二人が照れた。
上から何やら呼ばれて婆やが上っていった後で、
「おいお前、あの広美って娘の素姓すじょうを知ってるか。さっきあのリツ子ってのから聞いたんだけど、あいつ、水島みずしま将左衛門しょうざえもんの末娘だってさ!」
「へえ」
驚いたが、なるほどそう言われてみるとこの別荘の豪華さもわかって来る。水島将左衛門といえば人も知る水島コンツッエルンの大御所だ。
「あのリツ子は?」
「どうせ同じようにどこかのブルジョアの娘だろう。そういえばまあ品はあるようだな」
森は妙な具合に肩をもった。
2022/06/24
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