~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-126)
暫くして大分離れた隣の別荘から車が廻されて来た。断るのに送ると称して彼女たちも乗り込んだ。
運転手に訊くと、いくら急いでも門限には遅刻らしい。就寝前、マネージャーが必ず点呼して歩くから誰が居ないのかはすぐバレる。誰かが気を かして言い訳でもしておいてくれればいいが、出がけに新藤上級生に見られているからバレることは間違いない。それに二人を送って行った広美とリツ子たちが見つかればそれ切りだ。こうなった上は、正直に訳を話した方が良さそうだと二人で決心した。
車が揺れるに従ってますます酔いが廻って二人はてんでに歌を歌ったり勝手なお饒舌しゃべりを始める。
運転手は神妙に前を向いて運転に勤めてはいるが、時計と首っ引きではらはらしている武馬たちには段々それがかんににさわって来た。
「こんなことならあの時助けなきゃよかったよ」
歎息ためいきまじりで森が武馬と思ってたと同じ事を口に出した。
「全くだ ──」
「なによお、なに言ってんの唐変木」
リツ子が言い返す。
「君らには合宿の規則の大切さはわかりはしないんだ」
「一晩遅くなったくらい、いいじゃないの。折角の遊び相手が見つかったと思ったのに」
「僕らは合宿中なんだ」
「なによ合宿くらい」
「まあいい。それがわかってもらえなけりゃ、君らは矢張り昨夜ちかまってたような連中を相手にしてた方がいいんだ」
「話の通じにくい子ねえ、こいつ」
「およしよ、リツ子。遅くしたのは本当に悪かったわ。御免なさい。あやまりゃいいんでしょ」
流石さすがはリーダー各らしく広美が言ったが、その言い方が武馬にはかえって気にくわなかった。しかしそれ切り黙っていた。
「あら、怒ったの」
後のシートから肩に手を置いて広美が言う。
「いやあ、しかし君らを見てると、君らみたいな連中にこそ合宿生活は必要な薬だな」
「それどういう意味?」
「どういう意味でもないですよ。ただ僕には君らがよくわかんない」
「わかんなくてもいいわよ。そんなこと言わずにまた遊びましょう」
武馬は答えずに黙っている。森が妙な咳をして見せた。
門限には二十分遅刻だった。主将に言い訳するときかない広美を強引に車へ押し戻し、車を寮の近くで止めてそこから二人は歩いた。下手に玄関まで乗り込まれでもしたら、酔っ払った挙句あげくどんな騒動になるかもわからない。
案の定、玄関横のホールに主将とマネージャーが起きていた。森が武馬をかばうようにして、ありのままを言った。
「新藤からも聞いてたけど、後の事情は本当だろうな。今夜はそれを信用して許す。但しみんなへの見せしめだ。明日の昼、合宿部屋のはき出し掃除を二人でやるんだ。それから、どんな友達になっているのかは知らないが、この合宿中その連中との交際は禁止するからな。早く寝ろ」
二人は黙って頭を下げた。部屋へ戻りかける武馬を、
「おい坂木」
マネージャーが呼んだ。
「お前が、あの連中と出て行った後、誰かお前を訪ねて来たぞ、大学の友達と言ってたけど」
「はあ?」
誰か見当がつかず曖昧あいまいに頭を下げて行きかける武馬へ、
「美人だったぞ、うちにもあんな女子学生がいるのか」
武馬の顔から思わず血が退き、ついで倍になってかっと頬へ上って来た。彼を訪ねて来たのが、明子であることは間違いなく思われた。
「女、女子学生ですか!」
「寮の小母さんが会ってたけど」
「ど、どこに!」
「さあ、東大生でも合宿中は他の者は入れないからな」
立ちすくんだままの彼へ、
「さあ寝るんだ。詳しいことは明日訊け。遅刻して帰ってそれどころではねえぞ」
マネージャーは邪慳じゃけんにその肩を押した。
床へ入っても眼がさえて眠れなかった。あんな連中とつきあったお蔭で、わざわざ東京から後を追って自分を訪ねて来てくれた明子と会いそびれた口惜くやしさに、武馬は暗闇の中で歯噛みする思いだった。
やって来て自分の留守中に、むなしくどこかへ帰って行った明子のことを思うと。思いがけなかった今夜の出来事の印象などどこかへすっ飛んでしまっている。それに他の理由ならともかく、あんなプレーガールどもの相手をして折角の機会をつぶしてしまったことに、武馬は明子に対して後めたさを感じていた。なんだかもうこれきり会えないような気までして来る。
床の中でいらいら歯噛みしながら到頭とうとう明け方近くまで武馬は睡ることが出来なかった。
2022/06/25
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