~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-133)
翌日の夜、明子から寮へ電話があった。改めて電話で声を交わし合うと、妙に気恥ずかしい。しかし声を聞いてなんとはなしに安心した。遠廻りせず、真直ぐおりて夕方帰って来たと言う。
「明日の練習試合見にいくわ、午後でしょ」
明子が言った。
「え、ああ。でも ──」
「でも?」
「あのね例の連中も見に来るんだそうだ。昨日、グラウンドへ来て言ってたけど」
「いいじゃない。そんなもの」
明子は言い返した。
スリークウォーターのレギュラーは怪我もなんとか直ってカムバックはしているが、練習試合のこととて、いずれにしても武馬の出番は決まっている。初めての試合に余計なことで神経を使うのはやり切れなかったが、明子が言った通り、そのことは彼女にまかしてしまえばいい、と武馬は思った。
「とにかく僕は試合をするよ」
「楽しみにしてるわ」

次の日の午後、試合場のグラウンドに入ると、言っていた通りハーフラインの横に広美の真赤な車が止まっていた。その上に赤、青、黄、水玉とこれまた派手なパラソルをさした四人が坐っている。
眼を移すと、丁度その真向いの辺りのタッチラインに、真白いパラソルをさした明子が見えた。
まだ試合でもないのに、武馬を見つけると、
「武馬さん、頑張ってねえ」
わざとのように広美が叫んでパラソルを上げた。その声に武馬は知らん顔で、逆に明子の方に向かって手を振った。
「畜生」
車の上で広美が言った。

相手方の慶応がやって来た。慶応チームの中に新しい友だちがいるとかいうママ子とヨウ子が、彼らに向かってまた派手な声を上げる。学校がこういう手合いのさばき方にれているのか、誰かが手を振ってそれに応え冗談を言ってみんなが笑っている。練習試合とは言え、どうも東大の方は、試合を前にして少々固くなっているようだった。
試合前の軽い練習が始まる。お互いに相手を探るように、みんなちらちら互いの練習を眺め合う。どうも慶応の方がひと廻り大きくタフに見える。

相手のバックにひときわ背の大きくたくましい、それでいて見ていると、もの凄く足の早い選手がいる。合宿中にも聞かされた、慶応の至宝の全日本選手フルバックの竜野たつのだ。見ていて武馬はなんとなく武者震むしゃぶるいがした。
練習試合だからメンバーは随意交替ということだが東大は前半に一応レギュラーで布陣した。後半に、秋のリーグに補欠に加えられるメンバーと取り替える。武馬もその中に入った。向うはどんなつもりか知らないが、こちらはあくまで実戦本位というところだ。
ホイッスルが鳴るとまた広美やママ子たちの歓声が上る。
「矢張り女の見物がいた方が張りが出るよな」
誰かが本音を吐いた。
2022/06/29
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