~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-134)
注目していた竜野は出ていない。見たところ相手はレギュラーが抜けている。それでも試合は東大にとって楽ではなかった。しかし前半、東大はよく健闘していたが、十五分ほどしてワントライ、コンバート、その後、またドロップキックでゴールされた。しかしまあ健闘の部類だ。
する内、ルーズで相手方のバックスの一人が転んで大きくすりむき、その後に竜野が入った。見ていた武馬に、竜野が入った瞬間、相手方のチームが引きしめられるのがわかった。
その後竜野の活躍は全く思わず歯ぎしりするほど見事なものだった。彼の動きにつれ、球は見事にオープンに廻るかと見るや、次には果敢に中央突破に持ち込まれ、或いは、そのたくましい腕にしっかりとかかえられたまま、余裕たっぷりに、群がる相手を次々とフェイントでかわし、ハンドオフで叩きつけ、全く一人で楽しんでいると思うぐらい竜野は易々とゴールの下にトライした。
全くあっという間に得点が開いた。初めは感心して見ていたが、武馬はしまいに腹が立って来、夢中で味方を怒鳴った。
「なんだ、だらしねえなあ全く」
「そう言うな。相手は全日本のピカ一だよ。口惜しいけど実力だ」
蔭で森が案外弱気なことを言う。
「俺なら飛びついて、ゴールまでひきずられてもそのままぶら下がって離れずにいてやるけどな」
「そんなこと言ったたって、後半、変わらなきゃあいつがお前のところへ来るぞ」
そう言ってる間に、またしても竜野は味方の防禦ぼうぎょをふり切り、トライを上げる。
ようやくハーフタイムだった。
「駄目だ。竜野一人に振り廻された」
「あいつ、またひと廻り旨くなりやがった」
「後半はもっとレギュラーを入れるらしいぜ」
みんなが息を切らして言い合うところへ広美とリツ子が差し入れの果物や冷たい水を持って来る。
「ちょっと東大さん、しっかりしてよ。私、ハンディはつけたけど、そんなものもうとっくにパーだわ」
「ヘビー級とフライ級の試合見てるみたいよ」
「武馬さん、あんた今度出るの、せめて私のためにも一つぐらいトライして頂だい。あのも見てるわよ」
「余計なお世話だよ」
「そんなことを言ったって、本当にしっかりしてよ」
武馬は広美に答えず向うに立っている明子の方を見た。明子もこっちを見ている。
少しきざだけど“もし、万が一僕がトライで来たら、それを君に捧げる”とでも言えばよかったと思った。
明子の前を通り過ぎポジションに向かう時、彼女は黙って白いパラソルをあげた。それに対抗するように、反対側でまた、
「武馬さあん、頑張って」
広美が叫んだ。
生まれて始めての試合に全身が緊張していた。相手がみんなたくましく、強そうに見えた。実際、こちらがこれ以上負けまいと気負っているのに、相手はまだ余裕有り気に、互いに何か冗談を言い合ってにやにや笑っている。
ホイッスルで、相手の蹴ったボールが蹴られ損ない、いきなり低く、武馬の頭上へ飛んで来た。インターセプトしようとし出した手をはじいてボールがタッチに出る。武馬のミスで相手のスローイングになる。たちまち血が頭に上り武馬は今まで教わったことをみんな忘れてしまったような気持になった。
とにかく夢中に走り廻った。する内、ルーズスクラムから走り出た一人が、味方を外して武馬の逆の側のタッチを脱けようとするのへ、必死に追いつき、習った通りのタックルで飛び込んだ。相手の爪先か踵が胸に当たったほどの低いタックルだった。武馬が顔と肩から落ちる瞬間、相手はものの見事に足をすくわれて転倒した。
「凄いいっ!」
広美が言っている。
「いいぞ」
キャプテンの声だ。武馬はやっと落着いた。と同時に自信が出た。
後半、開始後2トライ上げられたまま東大はなんとかその陣地を守りつづけた。しかし、間もなく、相手の作戦がまた変わった。ボールがまた竜野に渡るようになった。たちまち東大の守勢はおぼつかなくゆさぶらて出す。
鮮やかなTBパスのリターンでトライを上げられた後、スクラムから出たボールを持って竜野が味方のフォワードをオープンの方に駆け抜けた。味方のバックスが次々に抜かれていく。武馬は必死に廻り込んで戻った。今、予期していた対決の一瞬が来ようとしているのを彼は感じた。足にはなんとか自信がある。切り込んで来る竜野を迎えようと必死に駈け戻った。
武馬の韋駄天いだてんが竜野のダイナミックな突進に間に合った。見る見る一瞬、相手の体が真正面にせまる。瞬間と瞬間の間の更に短い一瞬に、武馬はラッシュして来る相手の、鋭い、うかがうたかのような鋭い眼を見つめた。同じ一瞬、自分が彼と全く同じ眼をしていることを武馬は信じた。
“ああ、これがスポーツだ!”と思った。その眼を見つめながら、武馬は先刻と全く同じタイミングで相手の腰へ低く飛び込んだ。が次の瞬間、手ごたえは全くなく、外された武馬の体は竜野のすさまじいハンドオフに地面へころがって叩きつけられた。全くあっという出来事だった。
同じ砂地のグラウンドに頭から突っ込んでころげながら武馬は、竜野が悠々とゴールの真下へトライするのを見た。
女の声が何か叫んでいたが耳に入らない。自分と全く段違いの人間に対する感歎とと同時に、“何を”という反撥があった。ほこりも払わず武馬は飛び起きた。
しかし、その後、二度三度、むきになってとらえようとした竜野は巧みなフェイントモーションで、小馬鹿にしたように武馬へタックルの空振りを食わせ、或いは、叩きつけるようなハンドオフで彼を転がしては走り過ぎた。
その度みじめに砂を噛みながら、武馬は自分がこのスポーツの中で、ようやく確かな指標を持ったことを感じていた。
2022/07/01
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